富士嶽神社の絵馬殿
(富士嶽神社 絵馬殿)
・富士嶽神社への道のり
(館林駅近くのガスタンク。電車から撮影。)
(館林駅西口)
群馬県の東武鉄道館林駅へ。西口から20分ほど歩くと小山の上に社殿の載った神社が見えてくる。
※この時は2キロほど離れている青梅神社にも行きました。青梅神社のレポートはこちら。
広い境内にはたくさん石碑がある。「富士登山・・・」「富士山敷石・・・」などの文字が彫られているのが目につく。のちほど見る絵馬殿や拝殿もやはり富士登山に関わる奉納物がほとんどだった。「日露戦役紀年碑」は(乃木)希典の揮毫。
(神楽殿?)
(境内に建つ看板)
・富士嶽神社の概要
富士嶽神社は創建年は不詳だが江戸時代以降、代々の館林城主によって修復営繕が行われ住民の崇敬を集めてきた。祭神は木花佐久耶毘売命ほか十柱。
この神社が建っている小山はそもそも古墳らしいのだが江戸時代には富士山に見立てられ(いわゆる富士塚)、周辺の富士山信仰の拠点となった。富士山の山開きにあたる毎年5月31日と6月1日には乳児の額に朱印を捺して健やかな成長を願う「初山」、山仕舞いにあたる9月1日は「火祭」が行われ、特に「初山」はこの地域の重要な民俗行事だ(以上、境内の石碑や看板からの情報)。
まず参道の絵馬殿を見る。
・絵馬殿
(鳥居の奥に絵馬殿。その上に木に覆われた小山と拝殿の屋根が見える)
(扁額「富士嶽神社」。揮毫は「東陽村山寛謹書」とある)
参道は南南西から北北東に向けて伸びている。入り口には青銅製の鳥居。傍らにはカルタの読み札を模した「初山祭り」の石碑がある。
鳥居をくぐった先に絵馬殿がある。参道に位置しているから神門を兼ねているのだろう。境内には以前はもっと建物があったのだろう。いまはだだっ広いので絵馬殿が目立って少しみすぼらしく見える。
見上げると絵馬殿の正面には扁額あり、しめ縄が掛かっている。絵馬殿内部の屋根の下、北北東側の壁面の中央には「富士山」の額。さらに向かって右横に2枚扁額が並んでいる。
白と金で塗られ細く赤で縁取られた字が鮮やかな「富士山」の扁額。
(富士登山記念の扁額)
(おそらく富士登山の記念額)
絵馬殿に入って振り返った側、南南西の壁面にも数枚の扁額と絵馬がある。
(昭和十一年の富士登山記念額)
拝み絵馬。
絵馬殿を見終え、富士塚へ。
・富士嶽神社の富士塚
(合目石・一合目)
(織姫神社)
(日枝神社・清滝神社)
(合目石・二合目)
(建物の中に小さい社がある)
(合目石・四合目)
(合目石・七合目)
(合目石・八合目)
(烏帽子石)
・富士嶽神社の拝殿
無事に「富士登山」を終え、山頂の拝殿に到着した。
(麓を見下ろす。鳥居の先に絵馬殿が。)
(狛犬)
拝殿にもたくさん奉納額が掛かっている。正面に3枚。
(「伊勢大々御神樂」)
(富士の絵がうっすら見える絵馬)
拝殿の向かって左側を見る。
(「伊勢大々御神樂」)
(天明後米一俵價格表。手ぬぐい?)
(「関西四国旅行記念」)
(「奉納」「伊勢大々御神樂」)
(「奉納」「富士登山記念」)
拝殿の左側にも奉納額がある。
(「関西四国観光記念」)
富士塚から下山する。手すりつきの階段があってなかなか快適だ。
(水子尊)
(合目石・五合目)
降りてくると鳥居がある。ここが裏参道になるわけだ。
(社務所)
・まとめ
(富士塚の麓から。拝殿の裏手が見える)
絵馬殿を見に来たのだが絵馬は少なく少し残念だった。だが富士塚そのものや富士山信仰そのものが興味深かった。近くにある青梅神社の絵馬殿も参道上にあって神門を兼ねているのは地域性によるものなのだろうか。富士山信仰についても勉強して「初山祭り」の時にでも再訪したい。
〇富士嶽神社・・・群馬県館林市富士原町1127