(瀧尾神社、西側の鳥居)
・瀧尾神社の概要
京阪・JR西日本の東福寺駅からほど近い京都市東山区の瀧尾神社に行った。
創建年代は不詳だが、洛東聾ノ谷にあった武鵜社(たけうのやしろ)が応仁の乱で焼失、日吉坂に移転し多景社と称し、さらに西暦1586(天正十四)年に豊臣秀吉の方広寺建立に伴って現在地に移されたという。またこの地は泉涌寺の僧が守るところであったともいう(泉涌寺はここから1.2キロほどの場所にある)。瀧尾神社に改称したのは宝永年間(1704~1711)。
瀧尾神社は大丸の創業家である豪商下村家の崇敬が篤く、1738(元文三)年以降、度々社殿改修が行われている。現在の社殿も1839(天保十)年に下村家によって整備された。ここで授与されている福助人形は大丸の創業者である下村彦右衛門正啓をモデルにした説もあって興味深い。(参考:大丸松坂屋百貨店コーポレートサイト 大丸の歴史
https://www.daimaru-matsuzakaya.com/company/history-daimaru.html)
本殿は貴船神社奥院旧殿を移築したもので拝殿など8棟が京都市指定有形文化財。拝殿天井の龍の彫刻は全長8メートルにも及び、九山新太郎という京の彫物師の手による。回廊にも干支や霊獣の彫刻がある。
主祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、ほか大黒天、弁財天、毘沙門天も祀られる。以上は境内に京都市が設置した看板からの情報だが、境内にはほかに三嶋神社祈願所や大丸繁盛稲荷、金刀比羅宮、愛宕社、瀧尾天満宮、陰陽石などがある。
・本殿と境内の様子
(手水舎)
(トンビのように輪を描いてあがる凧。鳥除け?)
本殿はちょうど改修中だった。このような工事の様子はなかなか見られないのではないか。
・境内社など
子授け・安産にご利益があるといわれる三嶋神社の祈願所。すぐ横に小絵馬掛けがあった。ウナギが二匹描かれているのが子授祈願で、三匹描かれているのが安産祈願の小絵馬。ちなみに京都の三嶋神社はここから1.7~1.8キロほどの場所にある。
・拝殿
拝殿。本殿の南に並んでいて、赤い鳥居がすぐ目の前に建っている。工事中のご神体は本殿からこちらに移っていたようだ。
・瀧尾神社の絵馬舎
絵馬舎は境内の南西の角に物置に並んで建っている。そう広くはない境内に合わせて絵馬舎もこぢんまりとしている。上の写真で、境内側を向いていてたくさん絵馬や額が掛かっている外壁は北側、金具だけ付いている壁面は東側になる。この絵馬舎についてはすでにレポートされている方がいるので参考にしながら見ていく。
・絵馬舎外壁の絵馬
外壁の奉納物は5点。向かって左から見ていく。
見ての通り大丸の店舗を描いた絵馬。額に文字が書かれていたようなのだが読めない。ブログ「京都発! ふらっとトラベル研究所」によれば、宝暦年間の店舗のようすを写したと記されているらしい。
奉納額。詳細は不明。額に文字が微かに書かれている。「福?〇嘉?兵?〇・・・」という文字が読める。
写真が入った額。屋根には〇に大が書かれた旗も見える。ブログ「京都発! ふらっとトラベル研究所」によれば、これは1928(昭和三)年11月に建てられた大丸京都店とのこと。設計は建築家でキリスト教伝道者のW.M.ヴォーリズによる。W.M.ヴォーリズは建築家としては大丸心斎橋店(2015年閉館)や大丸百貨店社主の下村正太郎邸などを手掛け、後の医薬品メーカー近江兄弟社の創立者となるなど幅広い活動で知られる。
(参考:一粒社ヴォーリズ建築事務所のあゆみ http://www.vories.co.jp/company/history.html)
これも大丸の絵馬。比較的奉納者の名前が残っている。額の上辺に「奉納」の文字。右辺には「発記(ママ)人 福嶋嘉兵衛」左辺には「世話人 川?・・・」とある。画面内右上には「陳?列場」か、なにやら文字も見える。画面左側にはおそらく奉納者であろう名前が並んでいる。文字列の右上から「藤田熊吉 澤田瀬左衛門 清水六? 小田島・・・ 小谷専吉 橋本喜右衛門 神谷伊兵衛 植村?・・・ 沖清兵衛 林和三郎 中村三四郎 青山傳?七?」と一部読める。大丸に勤めていた人たちか。
句額か?文字や絵は全くわからなくなっている。
・絵馬舎内部の絵馬①
向かって左側(東側)には5点絵馬や奉納額がある。切り株も置いてあった。
こちらの大きな絵馬は「尚書省 三國志部」の記事によれば関羽と周倉を描いたもので、絵馬の画面の右上部には落款「東居」と方印があり梅川東居の筆らしい。
額の上辺に「奉納」、右辺には「嘉永二年己酉正月吉日 松榮講」、左辺に「油小路通山田町 石川屋儀兵衛」とある。板材がたわんでいて痛々しい。
上辺に「奉納」、右辺に「昭和七年四月」、左辺に「少年一字書」、下辺に奉納者らしき「角熊嘉一郎」とある。「京都発! ふらっとトラベル研究所」によれば、儒教の道徳として重んじられる「孝」の概念を示した「孝経」の有名な一節とのこと。
大丸の店舗を描いた絵馬。奥には城が見え、店舗の右には電柱?があり看板?が付いている。八角形の看板の下に「〇賣?」「〇根〇」とある。軒下の暖簾には「大丸屋」「呉服物〇〇」「現金懸値なし」「東京通旅籠町」「大坂心齋橋筋一丁目」「(京)都松?原?寺町通?」とある。向かって左側の軒下には消防ポンプもある。店舗の前には門松もあり、そのすぐ前を烏帽子をかぶった男と三味線を持った男の二人連れが通っているが門付の芸人だろうから、お正月の光景を描いたのかもしれない。
道行く人の風俗が面白い。人力車が二台。着物を着た人がほとんどだがコートを羽織った人、鳥打帽や山高帽を被った人がいる。洋服を着ているのは画面右のほうに黒い軍服の徒歩の軍人が3人と画面左の馬にのった軍人だ。どちらも肩章やズボンの線が赤く、歩兵か。馬上の軍人の服装は正装だろうか、飾緒や勲章を装着し大きな前立てを付けた帽子を被っている。この絵馬の奉納時期は分からないが描かれているのは明治十九年制の軍服だろう。
だいぶ剥落している部分もあるが金箔が多用され華やかさが伝わってくる絵馬だ。右側に奉納と大きく描かれ下にも奉納者か絵師の名前らしき字があるが読めない。左上に鳥居があり扁額には瀧尾神社と書かれているように見える。挟み箱や槍、長刀もちの奴、裃を着た人物、羽織に帯刀の人物、提灯などが散見され、中央の籠には大きな傘が差し向けられている。一見、祭礼図か大名行列の図に思える。しかし籠に付きそう人など顔をよく見るとキツネのようである。瀧尾神社とどういうかかわりがあるかわからないが「狐の嫁入りの図」かもしれない。
・絵馬舎内部の絵馬②
絵馬舎内部の向かって右側(西側)には6点絵馬や奉納額がある。小絵馬掛けもあった。
ふたりの人物?が描かれている絵馬。額の上方についた金具は宝珠のようにも見える。左の人物は女性(女神)か。瀧尾神社の主祭神は大己貴命であり、同一視されている大黒天も祀られているから右の小柄な頭巾を被った人物は大黒天かもしれない。
天狗の面を持つお亀(お多福)、というより巫女装束であることを考えれば、猿田彦神(さるたひこのかみ)の面をもつ天鈿女命(あめのうずめのみこと)か。この二柱の神は日本書紀の天孫降臨のエピソードに登場する。
額の上辺にうっすらと「御寶前」。絵の右下に奉納者だろうか、人名が書かれている。額の左辺に「〇?保?十?三年」とうっすら書かれているようにも見える。天保十三年だとすれば西暦では1842年。
にぎやかな絵馬。額の右辺に「明治八歳乙亥七月」、左辺に「火役方 築?子中」とある。左上には「肝煎 福嶋嘉兵衛 世話人 九?毛助六 黒川吉兵衛 林太吉 安田〇〇郎 福田作治郎」次の行には「北尾〇〇 〇〇右衛門 小〇〇〇衛門? 中?清〇郎? 小西藤?四郎 十文字屋伊兵衛」とある。
中央に並び同じ格好と同じポーズで踊る男たちがおもしろい。「火役方」とあるが、京都の町火消に関わる絵馬かも?
番付の額。右辺に「〇〇明治三拾八稔征露二年八月大吉祥日」とある。
上辺に「奉納」、左辺に「基?元? 梅山治兵衛」「本弓 貮十本射相?撲會」とある。
ほぼ文字が読めないが句額。額の上辺に「奉獻」左辺に「天保十一庚子」「大榮林?」とある。天保十一年は西暦でいうと1840年。
上段右端には「俳諧 發句」「題 四季」「〇蕉?堂?〇陽?宗?江?撰」、上段左側には「夢?中斬〇〇〇校?」「寂光庵〇〇〇校?」、下段右端には「同集十二首」「題 〇」「〇月?堂百〇〇」、下段左の方には「勸平庵駒?〇〇」「三?聲庵〇友?〇〇」とある。
・まとめ
大丸が奉納した絵馬が特徴的だが他の絵馬や奉納額もそれぞれあまり他では見られないような個性が感じられた。