絵馬ブログ

絵馬、絵馬堂についてのブログ。ほぼ月一回更新。/筆者:佐藤拓実/訪れた絵馬スポットの数:54(番外編:6)/ツイッター @EMA_blog_

生身天満宮の絵馬堂

(生身天満宮の絵馬堂)

 

 

 

・生身天満宮の概要

 

  京都府南丹市園部の生身天満宮の絵馬堂を見に行った。ここは全国で唯一、菅原道真公が生きておられる時から祭祀しているため、生身(いきみ)天満宮と称し日本最古の天満宮とも言われている。

 もともと園部は菅原氏の知行地で、後に生身天満宮の始祖となる武部左衛門尉治定(後に武部源蔵)はその代官だった。現在の園部公園には邸宅があって菅原道真公も度々訪れていたという。延喜元(901)年2月、道真公は大宰府へ左遷を命ぜられた。これを聞いた武部は後を追い東寺の正殿で道真公と対面を果たすことができた。その際、道真公より御形見として松風の御硯に添えて御歌を賜り密かに八男の慶能君養育の内命を受けたという。武部は慶能君を連れ園部へ戻り苦労を重ねかくまい育てながら、同延喜元年(901年)の春に敬慕の情の余り、また慶能君のご愁嘆を慰めるため、自ら道真公の木像を刻み邸内にひそかに祠を建てて生祠(いきほこら)と称し五穀を供えて幼君と共に日夜礼拝してご安泰を祈り深く崇敬の誠を尽くしたという。しかしその甲斐なく延喜三年(903年)2月25日、無念にも道真公は大宰府で薨じられたので、生祠を霊廟と改めた。その後、天暦九年(956年)に霊廟を神社と改め、現在に至った。ちなみに境内には武部源蔵をまつる社もある。

 

・参考:生見天満宮 https://www.ikimi.jp/

 

 

 

・境内の様子

 

 

 鳥居をくぐるとすぐ右に梅園がある。

 

 

 梅園を横目に少し石段を上がると右手に絵馬堂が現れる(詳細は後述)。

 

 

 絵馬堂からさらに石段を上がっていくと左手に手水舎と厳島神社があった。厳島神社内部には扇型の絵馬のようなものが多数掛かっていた。同じ南丹市の摩氣神社にも扇型の絵馬のようなものが奉納されていたが、何か関係があるのだろうか。

 

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 厳島神社よりさらに上に稲荷神社もある。

 

 

 石段を登り切ったところには皇大神宮の社が。境内にはこのほか秋葉愛宕神社などがある。

 

 

 本殿前の鳥居。

 

 

 

 本殿の左右には狛犬や撫牛もいる。

  



 本殿の手前には神楽殿のような建物があり、三十六歌仙図が掛かっている。


 

 「園部尋常小學校補修科裁縫生徒」「明治三十五年五月一日奉納」。左上の詩は菅原の道真公が11歳の時に詠んだといわれる「月夜見梅花」。

 

 

 本殿の屋根の下にもいくつか絵馬や押絵額、奉納物があった。

 

 

 本殿の周りには回廊が巡らされている。

 

 

 回廊には写真や句額などがたくさん掲げてあった。 

 

 

 訪れた時にはちょうど梅が咲いていた。

 

 

 

 

・生身天満宮の絵馬堂の外観

 

 ここからは絵馬堂を詳しく見ていく。

 

 

 

 全体にあまり装飾的ではないが瓦にはやはり梅紋がついている。外壁には木刀が付属する奉納額がある。

 

 

 

・生身天満宮の絵馬堂の絵馬と奉納物

 

 

 棟札が貼り付いていた。文字はだいぶ薄れている。

 

 

 

 参道は西から東に延びており絵馬堂も西から東に長い。西側の壁面から順に南、北、東の奉納物を見ていく。

 

 

 たくさんの縦長の奉納額。的と矢が付いている。

 

 

 円筒形で金具がついた道具?小田原提灯の重化(化粧輪)か?

 

 

 「明治廿二己丑十月吉日」「松本助二郎敬白」絵が剥がれ落ちてきているが縁側から庭木を見ている貴人が描かれていることがわかる。菅公か?

 

 

 「京都府蠶業取締所園部支所女子」「大正七年十月 作製者 田中●●」押絵の神像。下部には繭玉や蚕もある。「蠶霊神御尊像」とあるのは養蚕の女神だろう。

 

 

 字がだいぶ薄れている。句額か?

 

 

 「明治十三年辰四??」「子ノ歳男」。鎮西八郎為朝か。

 

 

辰年廿壹歳」「谷敬次郎」二頭の牛。背後の木は梅か。

 

 

 薄れてきているが牛の絵馬。

 


文久三年癸亥●●●●吉旦」「願主 寅年男子」何の絵かわからない絵馬。

 

 

 奉納された槍の柄。

 

 
写真もいくつか奉納されている。

 



 

 「繪馬堂發起 信心講」「白銀拾枚」「天保辛卯年九月」天保辛卯は天保二年(西暦1831年)らしい。

 

 

 的が貼られた額。砲術関係か?

 

 

「明治三十三年●●●●」藤原保昌の図か。

 

 

 なんの絵だろう・・・?

 

 

 「旧肥後國城主細川越・・・」「熊本縣士族ニテ当園部・・・」「ニ於テ書記奉職中巻武・・・」「敬白 佐々木新」


 

 常盤御前親子の押絵額。うっすら「明治三十五年一(月)・・・」と見える。

 


「京都新京極明治座」「大正●年十月興行」。

 




「日露戦役記念」「明治三十七年七月 世話人 吉峰治三郎」。日露戦争に行ったこの地域の兵士たちだろう。

 

 

 女、子供、鳥かご、鳥の押絵「昭和三年五月」「竹中たみゑ」。

 

 

笛をもつ貴人と琴を演奏する貴女の押絵。「明治四十年四月」「京都手藝學校・・・」。

 

 

 

 

  

船井郡園部本町 発起人 坂?小三郎」「有志相撲・・・」とある。神社に奉納した相撲の番付か。

  

 

 

 「明新校裁縫塲」「明治十六年五月初澣」牡丹の押絵額。

 

 

 「明治二十八?年・・・」牛の絵馬。

 


刺繍が施された大きな額。「大正元年拾?月吉?」「園部刺繍・・・」中央に刺繍されている風景は生身天満宮の社頭の様子か?

 

 

 

 

・まとめ

 天満宮であるから牛の絵馬が多いのは当然として、弓道の的を付けた奉納額や、押絵額が多いのも特色といえるだろう。明治時代は京都府綾部市を中心に養蚕が盛んであり、園部にも郡是製糸(現・グンゼ株式会社)の工場が置かれていたらしい。同じ南丹市園部町の摩氣神社の絵馬舎にも何点か押絵額があった。地域の歴史が感じられた。

 

 

 

〇生身天満宮・・・京都府南丹市園部町美園町1号67番地