絵馬ブログ

絵馬、絵馬堂(絵馬舎、絵馬殿、額堂)について/筆者:佐藤拓実/訪れた絵馬スポットの数:36/ツイッター @EMA_blog_

松ヶ崎八幡神社の武術絵馬

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(松ヶ崎八幡神社の鳥居) 

 

 

 

・松ヶ崎八幡神社へ 

 

 「秋田市文化創造交流館(仮称)プレ事業 SPACE LABO」への応募企画「秋田と北海道をつなぐ」で、秋田県内で滞在調査・制作を行った。その際に伺った神社のひとつが松ヶ崎八幡神社だ。

 (日記:秋田日記③ 2019.11.10. - こたつ島ブログ、秋田での調査内容について:秋田日記 序 - こたつ島ブログ、秋田での調査まとめ:秋田日記 跋 - こたつ島ブログ

 

 秋田市の北にある由利本荘市の海辺の集落、松ヶ崎へとバスで向かった。この日は事前にご連絡を差し上げていた宮司さんにご案内いただいき、貴重な建築や絵馬、文化財を見ることができた。

 山の麓の新しそうな石の鳥居をくぐると左手に手水舎があり、林の中をくぐり抜けていくように設置された本殿への苔むした階段を登っていく。

 その先に拝殿、幣殿、本殿覆屋が棟続きになっており、覆屋の中に本殿がある。

 

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(大きな扁額) 

 

 

・松ヶ崎八幡神社の概要と特徴

 

 松ヶ崎八幡神社はどのような成り立ちでここに建っていて、どのような特徴があるのだろうか。少し振り返ってみたい。

 そもそも現在の由利本荘市の北側を江戸時代に治めていた亀田藩岩城家は、元々は現在の福島県浜通り南部いわき市のあたりを支配していたのだが関ヶ原の合戦以後に領地替えされた。そのことで殿様に伴ってこの地に移動してきたのが松ヶ崎八幡神社であり、藩の崇敬社とされ領内七十五社が合祀された総社なので非常に政治的な色合いが強い。社殿が現在の形になったのは藩から地元住民に管理が移った後の1898(明治三十一)年だと推測され、それ以前はもっと大きかったようだ。宮司様は2.5倍くらいあったと言っていた。そのことを示すように絵馬も扁額も今の建物に対しては随分大きい。

 ここでは江戸時代後期、異国船に備えた海防のため亀田藩で武術が奨励されたことで奉納された武術に関する絵馬16面が特徴的だ。「本荘市史神社仏閣調査報告書 本荘の神仏像」(平成10年3月31日発行、編集執筆 大矢邦宣、発行 本荘市史編さん室、以下でも同書に基づいて寸法など記載する)によれば、奉納は天明年間から安政五(1858)年までの江戸後期70年間であり、武術は剣術はもちろん、弓術、槍術、馬術、砲術、居合、捕手、柔術の8種におよび、剣術に並んで砲術に関するものが多いことから流行武術であったことが伺えるという。

 

 

 

・拝殿内の絵馬と奉納物

 

 ここから建物の内部を見る。亀田藩の家紋が入った提灯がともる中に所せましと絵馬が並んで掲げられている。なお、この時に撮影できた以外にも何点か絵馬が所蔵されている。

 
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 亀の甲羅に「郷社八幡神社」の文字。大正十二(1923)年の奉納。秋田県内では他の神社でも時々文字が刻まれ奉納された甲羅を見た。

 以下、時計回りに絵馬などを見ていく。

 

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 「志満異風流」の砲術絵馬。吹き流しが描かれ、大筒と呼ばれる大型の火縄銃を前に武士が座っている。背景は松ヶ崎であろう、風景が描かれている。123.5×193cmある。「志満異風流三代武藤平太正光」その左に「同兵左衛門信久」、その下に「門弟」とあって続いて人物名に並んで「以百目玉拾二丁通之」「以五拾目玉同丁通之」などと書かれているのは、砲弾を飛ばした成績だろうか。文化十三(1816)年八月の奉納。落款は「探正守重筆」。『本荘の神仏像』によれば狩野派の絵師らしい。

 

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 鏝絵(こてえ)で那須与一が形作られている。69×132㎝でそれほど大きくないものの、色鮮やかで立派だ。左上に「勲七等功七位 佐々木市三郎 細工」とある。大正十四(1925)年10月13日奉納。

 

 

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 素朴な地引網の絵馬。紙に水彩?69.5×86㎝。

 

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 素朴な蛇の絵が2つ並んでいた。どのような願をかけたものだろうか。

 

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 これも「志満異風流」の砲術絵馬。111×196㎝。右端に大きく「初代武藤兵左衛門信久」「五代武藤平蔵信道」「六代岩城内記隆亨門人」とある。この岩城内記隆亨という人物は亀田藩主の縁戚の上級武士だろうか。この絵馬の奉納にあたっても中心的役割を果たしたに違いない。続いて「發鉛丸到十二丁之外」「百目玉」などとあって、門人の名前が並ぶ。弘化四(1847)年九月奉納。落款は「洞明浅英筆」。

 右奥の山の影には幔幕が張られ吹き流しが立っている。右手前の山のふもとには鳥居があるがこれはまさに松ヶ崎八幡神社の鳥居ではないだろうか。町を挟んで左の山の斜面に吹き流しと一緒に立てられているのは砲術の演習のための的のように見える。岩城藩士の武術の事情がうかがえる。

 

 

 

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 やや厳しい表情で瓢箪で釣りをする武士と、その目線の先で川面を眺める従者らしき武士が描かれている。172×197㎝、天保九(1838)年の奉納。「林崎流居合」「関口流柔術」とあり、下部には門人の名前が並んでいる。林崎流居合とは林崎重信を祖とする神夢想林崎流のこと。関口流柔術関口氏心を祖とする。落款は「亀陰冩」。先述の『本荘の神仏像』によれば大平亀陰という絵師のことで、井上隆明『秋田書画人伝』(加賀谷書店、1981年)にその名があるらしい。後述の絵馬にも亀陰の作がある。

(参考:https://yuagariart.com/artist-labo/literature/dictionary/akitashogajinden.html) 

 
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 173×182㎝、文政元(1818)年奉納の絵馬。「慈幻流剣術」「関口流柔術」「林嵜流居合」「勝山文左衛門胤安門人」とある。落款は「宗辰斎昌言」。対峙する二人の男から緊張感が漂う。腕に浮き上がった筋に迫力を感じる。もしかしたら武術の指導者たちの肖像でもあるのかもしれない。

 

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 大坪流馬術の絵馬。大坪流室町時代足利義満、義持に仕えた大坪慶秀がはじめた流派。193×241.5㎝。文政十三(1830)年の奉納。「大坪式部大輔慶英十八世」「久下丹治為吉門弟」「松村傳藏英重門人」とあり、落款は「北川齋守善筆」。神社に奉納される絵馬は神馬の奉納に由来するが、このように馬術にまつわる絵馬は珍しいかもしれない。

 

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 先述の『本荘市史神社仏閣調査報告書 本荘の神仏像』によればこれは宝蔵院流槍術の奉納額らしい。十文字槍の創始として有名な宝蔵院胤栄が始めた流派だ。79×165㎝、安政五(1858)年の奉納。中央に「熟則心 能忘手 手能忘 槍圓神 而不滞」とあるのは明時代の武将である戚継光の兵書『紀効新書 短兵篇第十二』からの言葉で、原文は「熟則心能忘手、手能忘槍、円神而不滞、又莫貴於静也(熟すれば則ち心は能く手を忘れ、手は能く槍を忘る。円神して滞らず、又た静を貴ばざるなし)」。

 (参考:屈 国鋒『養生武術の形成過程に関する研究―民間武術から太極拳への変遷を中心に― 』、原文と出典は177頁(註37)、書き下し文は164頁から)

 

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 190.5×193㎝、奉納年は見当たらなかったが『本荘の神仏像』によれば天明頃の奉納とされている。掛けられた木刀4本のしたで二人の男が向かい合って木刀を構えている。「慈玄流剱術元祖本嶽長門守十一世 小川杢右衛門茂武門人 神谷半次春茂門弟」とあり、先述の「志満異風流」の砲術絵馬と同じく落款は「探正守重」。

 

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 111×218.5㎝、天保三(1832)年奉納。「志満異風流砲銃」「武藤兵左衛門信久」「武藤平蔵信道 門弟」とある。落款は「亀陰」。先述の瓢箪で釣りをする武士の絵馬と同じ絵師か。

 

 

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 82.5×111㎝、大正三(1914)年奉納。紙に水彩か日本画で描かれているものか。「大嶌小嶌之沖合に於て烏賊漁之景」とあり、宮司様のお話しによれば松前でのイカ釣り漁の様子を描いたもので、漁の道具の使用状況がわかる点で貴重なものらしい。「大嶌小嶌」というのは松前町沖の渡島大島渡島小島のことのようだ。左側には奉納者の名前と並んで「北海道松前郡江良町村 画生 和田直次郎」、右下には「和田秀江?」とあるが、詳細不明。松前の画学生だろうか。遠景に帆船と煙を上げる洋式船が描かれているのが時代背景をうかがわせる。

 

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 95×182㎝。天明八(1788)年三月の奉納。『本荘の神仏像』には『梅竹に番鳥図』とある。「無極流捕手 高橋源七郎藤原茂永門人」と書かれている。

 

 

 

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 大鎧を着た武者が組み合っている。上に木片が付いているのは刀掛けだったのだろう。138×202.5㎝。寛政元(1789)年奉納。「慈玄流剱術源本嶽長門守十二代・・・」「関口流柔術関口柔信九代・・・」とあり、「願主 小川鉄五郎一純」とある。落款は見当たらない。

 

 

 

 

・幣殿内の絵馬と奉納物

 

 続いて幣殿の絵馬などを見ていく。向かって左手の壁面から。

 

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 縦長の大黒天図は160×61㎝。打出の小槌を抱き俵に乗っている。

 

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 「真忠勢」と描かれた扇形の額が掛かっている。163.5×242㎝。文政二(1819)年の奉納。「安盛流火術砲術 村上治郎左衛門吉勝門人 佐藤良輔秀明  門弟」。扇形の額は漆塗りのようだ。44.5×85㎝、裏の墨書は「天鷺隆喜書」とあるらしい。これは亀田藩八代藩主岩城隆喜(1791〜1854)の書かもしれない。

 

 

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  松の左右に騎馬武者が描かれている。173.5×270㎝。寛政(1798)年の奉納。「大坪本流松村四郎衞門門弟」とある。

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幣殿天井画の龍図や鳥つくし図は大正三(1914)年の作品。

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 たくさん奉納された提灯の光に絵馬がぼんやり照らされていた。

 

 

 

・本殿と本殿覆屋

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 漆塗りの本殿はさすが装飾も華やかで美しい。脇には随身や、いまの福井県で産出する笏谷石で16~17世紀に作られた狛犬(県指定有形文化財)が二体ある。

 

 

 

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 先述の『本荘の神仏像』では見当たらない龍の絵馬。本殿脇、本殿覆屋の壁にあった。

 

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 扁額「天照皇大神」67×194.5㎝。明治三十四(1901)年、国家神道の広まりを受けて奉納されたものか。本殿左手の覆屋に掛かっていた。

 

 

・まとめ

 

 全国的にも珍しいであろう武術絵馬をまとめて見ることが出来た。宮司様に改めて感謝したい。江戸後期に武備を増強したのは亀田藩だけではないはずだ。他の地域の武術絵馬とも比較してみたくなった。

 

 

 

・参考文献 『本荘市史神社仏閣調査報告書 本荘の神仏像』平成10年3月31日発行、編集執筆 大矢邦宣、発行 本荘市史編さん室

 

 

 

・松ヶ崎八幡神社・・・由利本荘市松ヶ崎字宮の腰27(※通常は一般公開していません)

  

  

法雲山東漸禅寺の馬頭観世音祭禮の絵馬屋

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 埼玉県熊谷市石原の東漸寺(とうぜんじ)は正式には臨済宗妙心寺派法雲山東漸禅寺という。境内にある馬頭観音堂では毎年1月第3日曜日に祭禮が行われており、絵馬屋さんが出店していると耳にして行ってみることに。

 東漸寺へは遠方からだと秩父鉄道秩父本線の石原駅から15~20分歩くか、国際十王交通の熊谷駅~籠原駅のバスに乗り国道17号沿い(昔の中山道)の熊谷警察署前で下車して10分くらい歩いて行くことができる。

 東漸寺へ歩いていくと住宅街の通りの向こうから煙が立ち昇り、何かが燃える匂いとともに読経する声がこちらへ流れてきた。ちょうど馬頭観音堂の前で地域の方々が集まってどんど焼き左義長)をやり始めたようだった。お堂の前には立派な鞍が置かれていた。どういういわれがあるのだろう?「南無観世音菩薩」の幟も立っている。正月飾りや底が割られた達磨やが次々火の中へ投げ入れられ、特に松の飾りはよく燃えていた。

 馬頭観音堂は門の右手にあり、馬頭観音堂の裏手は境内地を利用した幼稚園が、門を入って左手、本堂の手前には墓域への入り口がある。住宅街の中に位置する東漸寺は門前の通りがまっすぐ国道140号に通じており、境内にはお地蔵さんや庚申塔馬頭観音の碑などがいくつも設置されていた。初めて訪れたが「古くからこの地域で親しまれてきたお寺さん」という風情が感じられた。

 

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(境内の様子)

 

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 馬頭観音堂のすぐ横ではだるま(高崎だるま)が売られており、その奥で絵馬が売られていた。どんど焼きを見るにおそらくだるまと絵馬のセットが毎年恒例になっているのだろう。

 

 

 

・絵馬屋

 

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 絵馬屋さんはご夫婦で折り畳みの事務テーブルに絵馬を並べて売っていた。絵馬屋のおじさんによれば、もともと門前の参道では草競馬も行われ近隣の農民による素朴な絵馬屋も出ていたが一度途絶えた。それを絵馬屋のおじさんが父と二人で東漸寺の庫裡の天井画を描いたのがきっかけに、先代の住職から声をかけられて1975(昭和50)年ころに復活させ、以来45年間絵馬屋をやっているという。

 色鮮やかな絵馬は、秋田杉の上に日本画の画材(膠や顔料、胡粉などだろう)で絵を描いている。印章が入っているものもあって立派だ。サイズは二種類あってすべて手描き。大きい方は1辺が30㎝くらいの正方形で上辺と左右の辺に縁がつけられている。裏返すと小さい釘で縁が付けられているのがわかる。接着剤が併用されているかはわからない。小さいほうは長辺30㎝左右の辺が20数㎝くらいの五角形になっていて縁はない。絵柄は馬と干支の丑を描いたものがあった。よく見ると馬や丑の姿態や色はどれも微妙に違っていてこだわりが感じられた。今では絵馬を描く人も少なくなっているため、声をかけられて東松山市の上岡観音絵馬市の絵馬も近年では描いているそうだ。東漸寺は絵柄が決まっていないため自由にできるとおっしゃっていた。上岡観音絵馬市は昨年行って絵馬を何枚か入手したので私が持っている絵馬にも東漸寺の絵馬屋さんの手によるものが含まれているかもしれない。

 

emaema.hatenablog.jp

 

 絵馬を買うと、その場で祈願内容など文字を入れてくれる。昨年から疫病が流行り、いまだ収束の見込みはない。今年はやはり私のように無病息災や家内安全を願う人が多いのだろうか。私も大きい絵馬を1枚買って日付と無病息災の文字などをいれてもらった。近所にお住まいと思しき方が次々と訪れ絵馬を買っていて、文字入れを待つ絵馬がいつの間にかテーブルに積まれていた。この絵馬は本来は馬頭観音堂に奉納するはずのものだが材質も絵も立派だからだろう、私は持ち帰ってきてしまったし、私以外の参拝者の方々も持ち帰っているようだった。

 地域の方々に親しまれて絵馬屋さんが長く続いている様をお邪魔して見ることができ、新年から故郷に帰ったようなとても暖かい気持ちになった。

 

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 (終)

 

 

 

臨済宗妙心寺派法雲山東漸禅寺(東漸寺)・・・埼玉県熊谷市石原334