絵馬ブログ

絵馬、絵馬堂についてのブログ。/筆者:佐藤拓実/訪れた絵馬スポットの数:48(番外編:6)/ツイッター @EMA_blog_

高照神社の絵馬

(高照神社拝殿)

 

 

 

・高照神社と絵馬群の概要

 

 高照神社(たかてるじんじゃ)は、宝永七(1710)年に死去した弘前藩四代藩主津軽信政を、遺命により五代藩主津軽信寿が吉川神道に基づき神葬した廟所に始まる。社名は当初は高岡霊社、明治以後は高照神社と呼ばれる。明治十(1877)年からは初代藩主津軽為信を合祀している。

 社殿は、津軽信寿が正徳元(1711)年に廟所を、翌二年に社殿群を建てて社頭景観を整えた。七代藩主津軽信寧が宝暦五(1755)年に拝殿を造り替え、九代藩主津軽寧親が文化七(1810)年に随神門を、同十二(1815)年に廟所門を建てた。

 建物は弘前城の西方、岩木山麓に東西軸上に並んで配置されており、東から鳥居、随神門、拝殿及び幣殿、東軒廊、中門、西軒廊、本殿が建ち並ぶ。津軽信政公墓のある廟所は本殿の約200メートル西方にある。吉川神道に基づいた独特な社殿構成は全国的にほとんど類例がなく近世神社建築の展開の一端として価値が高いとされており、平成十八(2006)年には国指定重要文化財になった。

 

 津軽信政の遺品や明治時代に旧藩士たちが納めた武具や刀剣類など数多くの宝物は「高照神社宝物殿」に収蔵公開されていたが老朽化のため閉鎖され、現在では神社の南側に平成三十(2018)年にオープンした「高岡の森弘前藩歴史館」で保存活用されている。

 津軽信政の遺徳を敬い、あるいは藩内の平穏を祈願し吉事の報告のために高照神社には歴代の弘前藩主や重臣たちが絵馬を奉納した。かつては拝殿に掛かっていたが今日では順次レプリカに置き換えられ、他の宝物と同様に高岡の森弘前藩歴史館に保存されている。

 絵馬群は54枚が県有形民俗文化財となっており、津軽信寿が享保13年(1728年)に奉納したものをはじめ52枚が江戸時代のもの、2枚が明治時代のものだ。奉納者別では25枚が藩主と家族、黒石津軽家当主の奉納で、他は奉納者不詳を含めて藩重臣の奉納と考えられている。藩主一族が奉納した絵馬は上部が山型の五角形となっており他は横長の長方形である。形によって奉納者の身分が違うのが興味深い。

 絵師は弘前藩召抱えの新井晴峰や幕府表絵師等で(詳しくは後述)、図柄は神馬が多く、他に仙人や鶴、鷹、松などがある。

 

※今回のレポートは数年前の冬に訪れた際に撮影した写真を掲載しているので、現在とは撮影のルールや文化財の配置が異なっている可能性があります。ご注意ください。

 

・参考:弘前市 高岡の森弘前藩歴史館

http://www.city.hirosaki.aomori.jp/takaoka-rekishikan/

・参考:弘前市 弘前文化財 国指定文化財 高照神社

http://www.city.hirosaki.aomori.jp/gaiyou/bunkazai/kuni/kuni20.html

・参考:弘前市 弘前文化財 高照神社奉納額絵馬

http://www.city.hirosaki.aomori.jp/gaiyou/bunkazai/ken/ken40.html

・参考:青森県 文化財保護課 高照神社奉納額絵馬

https://www.pref.aomori.lg.jp/soshiki/kyoiku/e-bunka/kenyuukei_08.html

 

 

 

・高照神社 境内の様子

 

 

 鳥居。やや塗装が落ちていて、この奥に立派な社殿が連なっているとは思えない。

 

 

 社号の揮毫は近衛文麿(1891〜1945)。津軽家の江戸時代の公称系図では、祖先の大浦政信が近衛家の猶子となったとされており深い関わりがあるそうだ。

 

 

 二つ目の石の鳥居。

 

 

 境内の碑。

 

 

 高岡の森弘前藩歴史館。絵馬も展示されている。

 

 

 3つ目の鳥居。

 

 

 手水舎。

 

 

 庭石。

 

 

 旧宝物殿前の馬の彫刻。

 

 

 絵馬掛け。

 

 

 随神門。さすが雪国、看板に「降雪注意」とある。

 

 

 拝殿が見える。

 

 

 随身

 

 

 拝殿。この中に絵馬がある。真っ赤な壁が白い雪によく映える。

 

 

 西軒廊と本殿。

 

 

 
・高照神社の拝殿の様子

 

 

 拝殿の賽銭箱の前から見上げ、建物の奥をのぞき込むと長押にずらっと絵馬が並んでいる。高岡の森弘前藩歴史館のスタッフの方にも確認し、拝殿に上がらせていただき絵馬を眺めることができた。

 

 

 『岩木の絵馬』によれば、旧岩木町にあった江戸時代の絵馬で作者が分かるものが39枚あり、うち29枚が高照神社の所蔵品だという。絵師の内訳は新井常寛が9枚、新井晴峰が6枚、新井勝峰が2枚、新井晴斉が1枚、狩野洞白が5枚、住吉広尚が1枚、住吉広定が1枚、今村渓寿が1枚、蘇州が1枚、福島晁山が1枚、三上仙年が1枚となっている。

 新井家の4人と今村は江戸幕府御用絵師の木挽町狩野家の門人で、江戸定府の津軽藩のお抱え絵師。狩野洞白は江戸幕府御用絵師駿河台狩野家の五代目当主で、津軽藩の依頼で絵馬を描いたと推測される。住吉家の2人とも江戸幕府の御用絵師、広尚は六代目、広定は七代目当主。この2人が描いた絵馬は黒石津軽家の当主の奉納であり、狩野派とは違う「やまと絵」の流派である。

 以上は、わざわざ江戸から運んだものと考えられている。

 三上仙年は元津軽藩士で字は直英、平尾魯仙の第一の高弟とされる人物で1,881(明治十四)年天皇巡幸のとき、瀑布の図を献上した絵師。福島晁山は津軽藩家老津軽頼母頼宏の子であるらしい。

 

・参考文献:『岩木の絵馬』岩木町教育委員会、平成元年10月

 

 

 

・高照神社の絵馬群

 

 以下、入口から見て手前の長押に掛かる作品から順に絵馬を見ていく。作品の題や奉納年などは『岩木の絵馬』を参考に記す。

 

 

《陵王舞図》。奉納年は1835(天保六)年8月、奉納者は森岡山城藤原元侯。絵師は新井晴峰。

 

 

 《翁舞図》。奉納年は835(天保六)年8月、奉納者は西館宇膳源建國。絵師は新井晴峰。

 

 

 《ひき馬図(白毛)》。奉納年は1841(天保十二)年3月8日、奉納者は藤原正足(黒石津軽家十代)。絵師は今村渓寿。

 

 

 《松に鷹図》。奉納年は1831(天保二)年8月28日、奉納者は藤原順徳(黒石津軽家九代)。絵師は住吉広定。

 

 

 《ひき馬図(黒毛鞍置)》。奉納年は、1810(文化七)年7月21日。奉納者は藤原親足(黒石津軽家八代当主)。絵師は住吉広尚。

 

 

 《松に鷹図》。奉納年は1729(享保十四)年3月吉日。奉納者は渡辺氏女(五代藩主信寿側室加茂)。絵師は新井常寛。

 

 

 《松に朝日図》。奉納年は1729(享保十四)年3月吉日。奉納者は平清隆室(岩城河内守隆韶室)。絵師は新井常寛。

 

 

《弓に的図》。奉納年は1756(宝暦六)年6月壬寅日、奉納者は藤原好古(六代藩主津軽信著次男)。絵師は不明。

 

 

 《七福神図》。奉納年は1729(享保十四)年3月吉日、奉納者は藤原親蔵母(堀石見守親賢母)。絵師は新井常寛。

 

 

 《勿来関図》。奉納年は1800(寛政十二)年7月吉日、奉納者は森右近源忠哲室(九代藩主寧親女)。絵師は狩野洞白。

 

  

 《西王母図》。奉納年は1800(寛政十二)年7月吉日、奉納者は藤原寧親次女(九代藩主津軽寧親次女)。絵師は不明。

 

 

 《ひき馬図(葦毛鞍置)》。奉納年は1828(文政十一)年4月朔日。奉納者は津軽式部朝定。絵師は新井晴峰。

 

 

 《ひき馬図(葦毛鞍置)》。奉納年は1835(天保六)年、奉納者は大道寺玄蕃平繁元。絵師は新井晴峰。

 

 

 

 《蓬莱山図》。奉納年は1866(慶應二)年3月吉日。奉納者は添田有方貞利。絵師は不明。

 

 

 《三歌人図》。奉納年は1866(慶応二)年6月吉日、奉納者は西館宇膳源建哲。絵師は凌雲堂晁山(福島晁山)。

 

 

 《神馬図》。奉納年は、1868(慶応四)年、7月吉日。奉納者は山中兵部泰靖。絵師は新井勝峰。

 

 

 《花籠図》。奉納年は1875(明治八)年11月15日、奉納者は大道寺繁禎。絵師は三上直英(仙年)。

 

 

 《倭姫命図》。奉納年は1810(文化七)年7月吉日、奉納者は後藤理右衛門寄佑。絵師は蘇州。

 

 

 《春日参詣図》。奉納年は1729(享保十四)年3月吉日、奉納者は藤原信興室(五代藩主世子津軽信興室)。絵師は新井常寛。

 

 

 《鶴に朝日図》。奉納年は、1729(享保十四)年3月吉日、奉納者は藤原信寿室(五代藩主津軽信寿室)。絵師は新井常寛。

 

 

 《黄石公・張良図》。奉納年は、1729(享保十四)年3月吉日、奉納者は藤原信著(六代藩主津軽信著)。絵師は新井常寛。

 

 

《神馬図》(レプリカ)。奉納年は1728(享保十三)年、10月吉日。奉納者は藤原信寿(五代藩主津軽信寿)。絵師は新井常寛。

 

 

《ひき馬図(黒毛鞍置)》(レプリカ)。奉納年は、1729(享保十四)年、奉納者は藤原信興(五代藩主世子津軽信興)。絵師は新井常寛。

 

 

 

 《文宣帝図》(レプリカ)。奉納年は1756(宝暦六)年6月壬寅日、奉納者は藤原信寧(七代藩主)。絵師は不明だが狩野派とされている。

 

 

 《蓬莱山図》。奉納年は1790(寛政二)年7月吉日。奉納者は藤原信明母(八代藩主津軽信明母)。絵師は不明だが狩野派とされている。この写真は高岡の森弘前藩歴史館にあった絵馬の写真で、拝殿内にはレプリカが掛かっていた。 

 

 

 《ひき馬図(白毛鞍置)》。奉納年は、1790(寛政二)年7月吉日。奉納者は藤原信明(八代藩主津軽信明)。絵師は不明だが狩野派とされている。

 

 


《仙人唐子遊び図》。奉納年は1790(寛政二)年7月吉日、奉納者は藤原信明(八代藩主津軽信明)。絵師は不明だが狩野派とされている。

 

 

 《高砂図》。奉納年は1800(寛政十二)年7月吉日、奉納者は藤原寧親(九代藩主)。絵師は狩野洞白。この写真は高岡の森弘前藩歴史館にあった絵馬の写真で、拝殿内にはレプリカが掛かっていた。 

 


《鶴図》。奉納年は1800(寛政十二)年7月吉日、奉納者は藤原寧親室(九代藩主津軽寧親室)。絵師は狩野洞白。

 


《ひき馬図(黒毛鞍置)》(レプリカ)。奉納年は、1828(文政十一)年3月吉辰。奉納者は藤原信順(十代藩主津軽信順)。絵師は新井晴峰。

 

 

《群馬図》。奉納年は1800(寛政十二)年、7月吉日。奉納者は津軽雅之助(のち十代藩主津軽信順)。絵師は狩野洞白。
 

 


 
《ひき馬図(栗毛鞍置)》。奉納年は、1845(弘化二)年6月18日。奉納者は藤原順承(十一代藩主)。絵師は新井晴斎。

 

  

《ひき馬図(黒毛鞍置)》。奉納年は1868(慶応四)年7月吉日、奉納者は藤原承昭(十二代藩主)。絵師は新井勝峰。
 

 

 《養老滝図》。奉納年は1800(寛政十二)年7月吉日、奉納者は藤原寧親女(九代藩主津軽寧親女)。絵師は狩野洞白。

 

・高岡の森弘前藩歴史館内の絵馬

 

 高岡の森弘前藩歴史館には、絵馬のデータが見られるモニターがあり、拝殿にレプリカが掲げられている絵馬の実物のほか、いくつか絵馬が展示されていた。

 

 

 絵馬の情報が見られるモニター。

 

 

旭日松鶴図》。奉納年は1863(文久三)年、奉納者は堀五郎左衛門利之。絵師は不明。

 

 

《競馬図》。奉納年は1756(宝暦八)年、奉納者は西舘織部源建通。絵師は不明。

 

 

 

・おまけ

 

 

 拝殿の片隅に置かれた木馬。抜けかけたたてがみが痛々しい。存在感があって少しこわかった。

 

 

 

・まとめ

 

 弘前藩の文化水準の高さを示す、上級武士による奉納絵馬群を見ることが出来た。冬は雪に閉ざされるこの地で長年拝殿に掲げられてきた絵馬は決して良好な保存環境ではなかったと想像されるが、私が見た範囲では極端に傷んでいるものは少なく大切にされてきたのだと感じた。

 外気が入る拝殿にレプリカが掲げられ、すぐそばの高岡の森弘前藩歴史館に絵馬が保存、展示されていくことで、今後も地域の貴重な文化財として受け継がれていくのだろう。同じく武士が奉納した絵馬として、秋田県由利本荘市本荘八幡神社の絵馬や、松ヶ崎八幡神社の絵馬と比較することも可能だろう。また訪れたい。

 

 
 

○高照神社・・・青森県弘前市高岡神馬野87

 

氣比神社(おいらせ町)例大祭の絵馬市と絵馬殿

(氣比神社の絵馬市)

  

 青森県おいらせ町の氣比神社では毎年7月第一土曜日・日曜日の例大祭に合わせて全国でも珍しい絵馬市が行われている。今回の記事では2022年7月2日、3日に開催された例大祭と絵馬市の様子をレポートする。

 

 

 

・氣比神社の概要

 

 古くから国内有数の馬産地であった青森県南部地方に鎮座する氣比神社は、地名を取って「木ノ下のお蒼前様」などと呼ばれている。旧南部藩領に九つあった藩営牧場「南部九牧」のうち最大の「木崎野牧」と近く、馬の守護神である蒼前神信仰の拠点として知られてきた。

 境内の看板によれば、源頼朝が南部氏の祖である南部光行に命じて馬産を強化させて以来、陸奥国では生産が盛んになった。氣比神社は建久二(西暦1191)年頃に祭神が勧請されたことを創始とする。東北地方を中心に祀られている蒼前神の中で、総"おそうぜん様"にあたるのが、ここだともいう。祭神は足仲彦尊(タラシナカツヒコノミコト、仲哀天皇)。年間行事としては春の祈年祭、夏の例大祭、秋の新嘗祭がある。

 なお神社名の読みは境内の看板では「けひじんじゃ」であり、これは越前国一宮でありこの神社の本社にあたる福井県敦賀市氣比神宮(けひじんぐう)と同じだが、地元では「きびじんじゃ」と読んでいるようだ。

 

 

 氣比神社の絵馬市の習俗については文化庁により2009年に「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択されており、充実した報告書が公開されている。是非参照してほしい。

 

文化庁 国指定文化財データベース 氣比神社の絵馬市の習俗

https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/312/00000859

文化庁 変容の危機にある無形の民俗文化財の記録作成の推進事業 氣比神社の絵馬市の習俗

https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/minzoku/mukei_kiroku/

青森県立郷土館ニュース写真で見るあおもりあのとき 第98回 おいらせ町・気比神社 例大祭に合わせ絵馬市

https://kyodokan.exblog.jp/18543972/

 

 

 

・氣比神社への道のり

 

 

 今回は八戸駅から青い森鉄道に乗って最寄りの向山(むかいやま)駅で下車し、駅からは徒歩で神社へ向かった。20分〜30分程かかる。

 

 

 駅前の案内看板にもやはり六角形の絵馬が描かれている。

 

 
 駅前には走る馬の彫刻が載ったオブジェがあった。

 

 
 地域の集会施設の看板にも馬が。

 


 林の向こうに神社の鳥居が見える。その奥に建っている青い屋台が絵馬市だ。

 

 

 

・氣比神社の境内の様子

 

 

 北北西から南南東へ伸びた菱形のような形の境内への入り口は複数個所あり、鳥居が4か所に設置されている。

 向山方面から行くと迎えてくれる赤い木の鳥居は境内地の西側に建っている。

 

 

 しめ縄が巻かれた石の鳥居は拝殿と本殿の正面、境内地の南側に位置する。灯篭や幟が両脇に立つ低い石段の参道があり赤い鳥居が建っている。

 

 

 鳥居と拝殿。

 

 

 立派な拝殿だ。

 

 

 横から見た拝殿(左)と本殿(右)。

 

 

 境内の地図。

 

 

 境内社の「欅蒼前神社」。

 

 

 境内社の「志乃武神社」。旧三沢海軍航空隊基地にあった神社が移されてきた。

 

 

 境内の力石。

 

 

 境内地東側の赤い木製の鳥居。ゆるやかな坂になっており、鳥居をくぐって右手に拝殿が、正面には社務所と絵馬殿がある。

 

 

 境内東側に立っている天然記念物の杉の木の看板。

 

 

 境内の北西、駐車場近くのカシワの木の看板。

 

 

 

・氣比神社の絵馬市の様子

 

 例大祭当日は早朝から境内に紙製の絵馬を売る店が設置される。

 参詣者は境内に入るとまず絵馬を購入する。私が見ていた限りだと、昨年買った絵馬を持参して絵馬屋に見せながら「黒牛を10頭」などと説明し、同じ図柄を買い求める人が多かった。この時、絵馬が要望と違えば参詣者自身が飼育する牛馬の細かい特徴も伝え絵馬屋に描き込んでもらう。名前や住所も書きこむ。次に参詣者はその絵馬を拝殿まで持っていき祈祷する。古い絵馬も一緒に持っていき神社に納める。祈祷後は絵馬を絵馬屋まで持っていき古新聞と輪ゴムで丸めて包んでもらい持ち帰り、以後一年間の牛馬の健康や多産を祈願のため、厩舎や牛舎の壁や神棚近くなどに絵馬を貼るのだ。

 絵馬屋の方に許可をとり販売の様子を撮影させていただいた。

 

 

 氣比神社の絵馬市に現在でも出店している唯一の絵馬師・三浦家は絵馬の制作と販売をはじめて現在で五代目。初代重太郎氏は五戸で書記役を務めていた元南部藩士で、二代目の重治氏の頃から絵馬の素材を板から紙に変えたと推測されている。三代目の啓吉氏は画号を「閨秀」から「啓秀」と変え、弟子もとっていた。四代目の秀雄氏は畜産事情の変容に対応し新たに牛や豚の絵馬を描くほか恵比寿大黒の絵馬も考案、また線画を印刷して合理化をはかったという。現在は五代目の教明氏が三浦啓秀の名を受け継いで製作を行っている。三浦家については先述の文化庁の報告書『氣比神社の絵馬市の習俗』に詳細に掲載されているので参考にしてほしい。

 店舗は中央の柱から右が牛、左が馬の絵馬の売り場になっている。

 

 

 向かって左側には馬を描いた絵馬が並ぶ。馬の色も体形も様々だ。線画部分は印刷とし背景や馬の体の色を手彩色したものが多くみられる。筆で描いたようなタッチのものもある。店舗の奥に飾れられた掛け軸は先代が描いた直筆で非売品だそうだ。

 

 

 牛の絵馬。黒い牛や赤い牛、白黒模様のホルスタイン種が複数描かれたものがほとんどだ。牛とともに恵比寿大黒が描かれた図柄もある。私が訪れた時には牛の絵馬がよく売れており、馬の絵馬を買う人は少なかった。

 

 

 豚の絵馬もある。色紙も販売されている。
 


 お神酒も売っている。

 



・氣比神社の絵馬殿

 

 絵馬市の屋台の後ろに絵馬殿が建っている。昭和五〇年頃に現在の社殿を新築した際に建てられたもので、明治十三(1880)年から昭和六三(1988)年までに奉納された165点の絵馬や多くの神像などが保管されている(文化庁『氣比神社の絵馬市の習俗』より)。社務所で確認したところ土間までは入ってよいが土間より先は立ち入り禁止で、撮影は全体の様子のみ可能とのこと。絵馬の数と様々な絵柄に圧倒される。詳細な記録は撮影できなかったが写真から少しでも神聖な雰囲気が伝われば嬉しい。

 

 

 私が絵馬を見ている間にも、訪れた方が賽銭箱の上にえだまめやニンジンなどを奉納していた。

 

 

 

・おまけ

 

 

 氣比神社の境内南の石鳥居の、道路を挟んだ向かいに商店がある。立ち寄ってみると「氣比の里」という日本酒が販売されていた。おいらせ町の酒蔵・桃川株式会社の商品だ。ラベルにあしらわれた馬の絵は四代目三浦啓秀によるものだろう。

 

 
 

 

・まとめ

 

 古来から日本有数の馬産地として知られる南部地方。馬の守護神である蒼前神信仰の中心地のひとつである氣比神社を訪れ、全国的にも貴重な絵馬市の様子を見ることが出来た。参詣者の需要や時代の変化に応えながら今日まで絵馬市を続けられてこられたことに敬意を表したい。あまり詳細に記事にできないのが残念だが絵馬殿の絵馬群もさすが見ごたえがあった。

 現在でも行われている絵馬市にはここの他に埼玉県東松山市の上岡観音の絵馬市があり保存会が活動している。上岡観音で販売されている小絵馬の割合は、だいたい馬と牛の絵馬が半分ずつ、他にはわずかに豚の絵馬であったことを思い出した。この割合は氣比神社の紙絵馬とも共通するように思える。畜産農家の需要を反映した結果なのだろうか。また上岡観音でも気比神社でも、参詣者は飼っている馬や牛に近い絵柄の絵馬を求める点や、絵馬は寺社に奉納せず護符のように厩舎などに飾る点など、いくつか共通点があり興味深い。

 

 

 

○氣比神社(おいらせ町)・・・青森県上北郡おいらせ町上久保51-1