絵馬ブログ

絵馬、絵馬堂についてのブログ。ほぼ月一回更新。/筆者:佐藤拓実/訪れた絵馬スポットの数:54(番外編:6)/ツイッター @EMA_blog_

成島三熊野神社毘沙門堂の絵馬

(成島三熊野神社毘沙門堂
 

 

 

・成島三熊野神社までの道のり

 

 岩手県花巻市のJR釜石線土沢駅から田畑の間に点在する民家を横目に山裾に沿って約5キロの道のりを行くと右手に鳥居といくつかの石碑が現れる。成島三熊野神社だ。鳥居をくぐり。地蔵堂を拝んで急な石段をしばらくのぼると由緒が書かれた古そうな看板が立っている。さらに急になっていく石段を這うように登っていくともう一つ鳥居があり、その奥に社殿、堂宇が建ち並んでいる。

 今回はその成島三熊野神社境内にある毘沙門堂の絵馬を見に行った。

 

 

 「旧国宝毘沙門天

 

 

 スクールバスのバス停「毘沙門」。

 

 

 バスの待合室。

 

 

 地蔵堂

 

 

 由緒が書かれた看板。

 

 

 ものすごく急な石段。

 

  

 扁額は県知事の揮毫だ。岩手県にとって重要な神社だということがわかる。

 

 

・成島三熊野神社の概要

 

 祭神は伊弉冉命(いざなみのみこと)、事解男命(ことさかおのみこと)、速玉男命(はやたまおのみこと)。

 そもそもこの地には今から約1200年前に行基によって開山され慈覚大師の中興によって栄えた大寺院があったらしい。 そののち桓武天皇の命により東北の蝦夷平定に従事した征夷大将軍坂上田村麻呂延暦二十一(西暦802)年に先述の熊野の三神を勧請し北辺の守護神として併せて毘沙門天を祀ったと伝えられている。康平五(1062)年に源義家が阿倍貞任を追撃した際に立ち寄り鏑矢を納め戦勝祈願をしたところ、阿倍氏を破り奥羽を平定することができたという逸話もある。中世には和賀領主より社領七十石を寄進され、元和四(1618)年には盛岡藩主南部利直から社領二十三石を与えられている。

 成島三熊野神社の宝物で最も有名なのは先述の田村麻呂が建立した兜跋毘沙門天立像(とばつびしゃもんてんりつぞう)だろう。高さ4.73mでケヤキの一木造の像としては日本一の大きさを誇る。かつて毘沙門天立像が納められていた毘沙門堂と共に国の重要文化財に指定されている。

 毎年5月には子供の成長を祈願する神事として『毘沙門まつり・全国泣き相撲大会』も開催されている。これは坂上田村麻呂が部下に相撲を取らせたことにはじまり、豊作の占いとされたことで流血沙汰にまで及んだことから宝永三(1706)年から数え2歳の幼児の先に泣いた方を負けとする「泣き相撲」に変わったという。

  

 

 

参考

成島三熊野神社毘沙門堂

https://mikumanojinja.com/

岩手県神道青年会 熊野神社東和町北成島)

http://ganshinsei.livedoor.blog/archives/14148041.html

 

 

 

・境内の様子

 

 

 シャコガイやら杵と臼やら。

 

 

 三熊野神社。本殿は岩手県指定文化財

 


 泣き相撲の土俵。

 

 

 境内にはいろいろな「パワースポット」もある。

 

 

 境内のお堂にもたくさん扁額や絵馬がある。

 

 

 国内でも最も古い一例とされる水道の遺跡もある。

 

 

 この坂をのぼった上に宝物殿が建っている。木造毘沙門天立像、木造二鬼坐像、木造伝吉祥天立像(すべて国指定重要文化財)のほか、木造伝阿弥陀如来立像(頭部は後補、県指定文化財) が納められている。内部は撮影禁止。

 


 御味噌奉納堂。かつては毘沙門天像のすねに味噌を塗って祈願をしていたという。いまはこの祠に置かれた実物と同型のすねに味噌を塗れる(!)。

 

 石碑。「奥州総鎮護毘沙門天のいわれ」

 

 

「山王天龍之命碑」。脇の石碑には沼に住んでいた大蛇の伝説が刻まれている。

 

 

 境内の岩。

 

 

 

・成島三熊野神社毘沙門堂の絵馬

 

 

 毘沙門堂室町時代後期の建築という。毘沙門天立像は元はここに祀られていた。

 

 

 毘沙門堂の手前には狛犬?のような石造物が。

 

  

「大悲夛門天」「奉納 毘沙門天」。同様の字が書かれた奉納額がたくさんあった。

 

 

 「大悲多門天」「川邑氏」。

 

 

 「納主古?人 醫師前田壽?生信之」。武将?と女性の絵馬。

 

 

 堂内の向かって右側の壁の絵馬を左奥から順に見ていく。

 

 

 毘沙門天の和讃。

 

 

 鞍馬天狗義経の絵馬。左側に「青森歩兵第五聯隊」「明治〇〇〇凱?旋?川村慶之助」「願?成?就? 成・・・」日清戦争日露戦争に従軍し帰国した軍人による奉納か?

 

 
 「明治四十一年七月」「志願者 川村善治」。蛇の絵馬。先述の山王天龍の石碑にあった大蛇伝説に関するものか。堂内にはほかにもいくつか蛇の絵馬があった。

 

 

 大黒天とねずみの絵馬。「明治十二卯一月 石ノ森大五郎」

 

 

 「大正十年十二月」「奉納 砲弾二個」「小山田村 願主 菅原二八」軍人が戦地で鹵獲した砲弾を奉納したのだろうか。ちなみにあたりに砲弾は見当たらなかった。

 

 

 剣がたくさん奉納されていた。

 

 

 草鞋の奉納額。

 

 

 ここにも剣。「昭和七年」「旧五月廿八日」

 

 

 まん丸の目と赤い口元が恐ろしい蛇の絵馬。

 

 

 「明治三十〇(年)旧正(月?)」「北成嶋 願主・・・」いわゆる三韓征伐の絵馬。神功皇后、武内宿祢と朝貢を誓う新羅?の王か。鬼のような姿だ。

 

 

 鳥居の形に貼られた銭の額。「」

 

 

 相撲の絵馬。鮮やかな彩色が残っている。堂内にはもう一枚相撲の絵馬があった。

「明治廿七年旧?四月十八日」「願主敬白 小原亀太郎 小原百太郎 小原與三郎 小原?蔵」

 

 

 「不動尊?」の額と「四國八十八ケ所須拝記念」の写真。「大正八年四五月二日」「猪鼻表町 髙橋亀蔵

 


 金具も立派な松に鷹の絵馬。「明治二十六年癸巳五月三日 東和賀郡北成嶋村 願主 川村勝晃?」

 

 ここから入口側の壁面の絵馬を見ていく。
 

 

 翁と媼の絵馬?。「宝永七歳九?月十九?日」はなんと西暦1710年。

 

 

 赤いきつね。「明治三十丁酉年 旧四月十五日」「北成嶋 龜盛鐡?之助敬白」

 

 

 「毘沙門天」「多門天」の額に混ざって「不動明王」の額もある。

 

 

 シンプルなタッチの馬の絵馬。「稗貫郡矢沢村髙木 佐藤善之助敬白」

 

 

弓を持った武将の絵馬。右上に波濤か何かが描かれている。「明治十四巳年九月十九日 納主 松尾辨治良」

 


 

 堂内の左側へ。

 

 

「奉納 毘沙門天 築田与三郎」「清甫作 昭和十七年五月三日奉納」

 

 

「大悲多門天」の額。「平野氏敬白」「延命寺沙門知岳拝書」

 


 

シンプルなタッチのかわいらしい馬。「大正拾年旧正月十九日」「北成島椚?山」「セ施主 川本勇治」

 

 

 神主と稚児?の絵馬。「明治三十八年和賀郡十二鏑村字北成嶋 及川榮勝 敬白」

 

 

馬の絵馬。「大正十三年正月十三日」「江刺郡福岡村字上口内」「納主濱田惣之助敬白」 

 

 

 ここから向かって左側の壁面の絵馬や奉納額を見ていく。

 

 

 2枚目の相撲の絵馬。「明治廿五年旧九月十九日」「諸成就 十二鏑村大字妛俵駒場小原〇上」もう一枚の絵馬と奉納者の苗字が同じだ。

 

 

 堂内右側の壁にもあった神功皇后、武内宿祢、幼い応神天皇の絵馬。「明治二十五年 旧四月十八日」「安俵村 多田三郎 敬白」

 

 

 大小の刀が描かれた絵馬。諸武術の名がずらっと並んでいる。奉納者が身に着けたものだろう。「戸田一心流釼術 太刀 表七ヶ條裏九ヶ條 小太刀七ヶ條 傳授 仲位免許 新堂流鎗術 中嶋流大小炮術 諸生流柔術 一和流馬術 圓傳流鎌術 鎌信流甲冑術 日本傳鎌信流軍學 北成嶋之住 政時(花押)」

 

 

 左の奉納額は「毘沙門天」「大正十五年八月矢沢村 願主 市川久次郎」

 右の絵馬は日本軍らしき姿が描かれている。油絵か?左下に「MITSUGU HASEGAWA」とサインがある。「昭和十三年七月吉日 長谷川貢 小原時恵」。

 

 

 大量の鉄剣が奉納されている。

 

 

 楠木正成・正行父子の桜井の別れの絵馬か。「明治三十九年九月十九日 時年七十一 前田正信」

 

 

 

 

・まとめ

 室町時代末期まで遡るといわれるお堂の中の壁にはどの面にもびっしりと絵馬や奉納額が掲げられており特に「毘沙門天(多門天)」の額や鉄剣が多い。大黒天や義経神功皇后と武内宿祢などほかの寺社でも見かける図柄のほか、神事に由来する相撲の絵馬や大蛇の伝説に関係すると思われる蛇の絵馬など、ここならではの絵馬もあり興味深かった。

 

 

 

・成島三熊野神社・・・岩手県花巻市東和町北成島5-1