(関東東向寅薬師の道路に面した北向きの壁)
・関東東向寅薬師の概要
さいたま市浦和区のJR東日本浦和駅から歩いて約10分、鳥居が無く狛犬の代わりに狛兎が置かれていることで有名な調神社(つきじんじゃ)からも近い住宅街の中に、関東東向寅薬師(かんとうひがしむきとらやくし)のお堂がある。外壁を覆うように打ち付けられた、たくさんの「向かい目の絵馬」が特徴的だ。


「浦和区文化の小径づくり推進委員会」が設置した看板によれば、本尊の薬師如来は江戸時代初期に高野家の祖先・重兵衛が高野山から下山勧請し、霊地御倉山に御堂を建て安置したもので、昭和二(1927)年に耕地整理のために高野家の敷地内の現在地に遷座したとのことだ。このお堂は順路を浦和区、南区、桜区、戸田市、蕨市に展開する足立十二薬師霊場の十一番札所だ。
高野家は中山道沿いの岸町7丁目にあった煎餅を製造販売する商家。旧高野家住宅は現存する中山道浦和宿の商家としては最も古く江戸時代末期、安政年間の建築。現在は浦和くらしの博物館民家園へ移築されている。
(参考:さいたま市 浦和くらしの博物館民家園 旧高野家住宅https://www.city.saitama.jp/004/005/004/005/003/003/p002261.html)
お堂の内外を取り巻く向かい目の絵馬は眼病に霊験あらたかといわれる本尊の薬師如来に奉納されたものだ。ご開帳は寅年春に行われている。向かい目の絵馬自体は関東を中心にあちこちで奉納されているが、このお堂のように寺社の敷地内ではないにも関わらず維持管理され今日でも絵馬屋の手描きの絵馬が多数奉納されているところは多くはないだろう。
まず北側の壁面から見ていく。
・北側の壁
道路に面し、案内の看板も取り付けられている。関東東向寅薬師の顔とでもいうべき壁だ。
下に位置する絵馬の方が彩色が鮮やかなので新しいのだろう。年号を見ると今年(2021年)に入ってからも何枚か絵馬が奉納されているようだ。
絵馬を打ち付ける横木に絵馬の屋根の部分の跡が残っているのである程度掲げられた絵馬が取り外されていることがわかる。古くてぼろぼろの絵馬を取り外しているのか、新しい絵馬のためにスペースを空けているのかもしれない。外された絵馬はお焚き上げされているのだろうか。
軒下まで絵馬が打ち付けられている。
向かい目の絵馬に混じって拝み絵馬もちらほら。
釘に針金が通された石が引っかかっていた。釘で絵馬を打ち付ける時に金づちの代わりにでもするのだろうか。
・東側の壁


関東東向寅薬師という名の通りお堂は東を正面として建てられていて、こちらからお参りする。軒下には鰐口が二つ。管理者の電話番号が貼り出されていた。連絡すると向かい目の絵馬を分けていただけるようだ。扉の両側はシャッターになっているので絵馬は軒下に集中している。
・南側の壁
道路からは見えない南側の壁にもびっしり絵馬が打ち付けられている。物干しざおがあった。
・西側の壁
西側の壁はほとんど絵馬がない。小さいハチの巣があった。
・向かい目の絵馬の種類
関東東向寅薬師のお堂にはたくさん「向かい目の絵馬」が掲げられている。五角形の屋根型で縁が付き、下半分に大きく平仮名の「め」が左右対称に書かれその上に幕が描かれているところは共通しているが、よく見ると細かな違いがある。
幕の描き方では、たわみが中央で左右に分かれるタイプと、三つにわかれるタイプがある。幕の分かれ目に描かれる房にも違いがある。幕に描かれた模様は「丗」や「曲」のような模様か花のような模様の2タイプに大別される。さらに「め」の字は色や形に違いがある。色あせているものもあるので判別しにくいがもちろん色遣いにもいくつかタイプがある。
・まとめ
向かい目の絵馬自体は東京都中野区の梅照院(新井薬師)などでいまも授与されている。しかし(繰り返しになるが)、ここのように大量の絵馬が長い年月奉納されてきた様子を今日でも見ることが出来る場所は多くないと思う。
西暦2022年は寅年。足立十二薬師霊場の御開帳の年だ。新年から健康祈願に巡礼するのもいいのではないだろうか。
〇関東東向寅薬師・・・埼玉県さいたま市浦和区岸町7丁目9-25