絵馬ブログ

絵馬、絵馬堂についてのブログ。ほぼ月一回更新。/筆者:佐藤拓実/訪れた絵馬スポットの数:54(番外編:6)/ツイッター @EMA_blog_

笠間稲荷神社の絵馬①(拝殿、廻廊)

笠間稲荷神社の拝殿)

 

 「日本三大稲荷」に数えられることも多い笠間稲荷神社の絵馬を見に行った。門前町として有名な笠間市茨城県の中央に位置し、笠間焼の産地としても知られる。

 大きい神社であるだけに境内に飾られた絵馬も多かった。3度に分けて紹介していきたい。

 ※訪れたのは2020年です。現在とは公開状況が変わっている可能性がありますのでご了承ください。

 

 

 

・由緒など

 

 笠間稲荷神社の創建は社伝によれば第三十六代孝徳天皇の御代、白雉二(西暦651)年と伝えられている。寛保三(1743)年には笠間藩主の井上正経(社伝では井上正賢となっている)により社地・社殿が拡張された。延享四(1747)年に牧野貞通が笠間城主となった際は先例により祈願所と定められ境内地・祭器具等が寄進された。以来歴代笠間藩主の篤い尊崇を受けたという。

  祭神は他の多くの稲荷神社と同じ宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)。かつて社地には胡桃の密林があり稲荷社があったことから別名を「胡桃下稲荷」(くるみがしたいなり)ともいう。また、笠間藩主井上家一門の門三郎という人物が利根川流域を中心に多数の人々に功徳を施し信仰を広めたことから「紋三郎稲荷」とも呼ばれる。現在では全国から年間350万余の人々が参拝に訪れているらしい。
 笠間稲荷神社のウェブサイトでは牧野家を除く歴代藩主の多くは転封した先でも御分霊を新たな領地にお祀りしたため、藩から領民へ、領外の民へと信仰が広まっていったとしている。なお、東京にある笠間稲荷神社東京別社はもともと笠間藩主牧野氏の邸内社だった。

 

 

・参考:笠間稲荷神社Webサイト 由緒 http://www.kasama.or.jp/history/

 

 

 

門前町と境内の様子

 

JR東日本水戸線笠間駅

 

 ちょうど菊まつりが開催されているときに訪れた。駅前から菊の花が出迎えてくれた。神社に向かう道すがらあちこちで菊を眺めることができた。

 

 

 石柱や灯篭が建ち、花が飾られ門前町の雰囲気を演出している。

 

 

 門前の通りは神具店や酒蔵、いなり寿司のお店などが立ち並ぶ。

 

 

 真っ赤な大鳥居の左右には「仲見世」がありお土産品や神棚などが売られている。

 

 

 仲見世に沿って神使の狐の像がたくさん。もちろん境内にも狐の像があちこちにあった。

 

 

 楼門。神社のウェブサイトによれば正式には「萬世泰平門」といい、重層入母屋造で昭和三十六(1961)年竣工。扁額は当時の神宮祭主、北白川房子氏による。

 

 

 楼門に飾られた「日本国守護之矢」。

 

 
 文久年間(1861~1864)に鷲尾石鸞によって作られた随身
  

 

 手水舎は花で満たされていた。

 

 

 Instagramをやっているらしい(https://www.instagram.com/kasamainari.official/)。

  

 

 楼門の随身の裏手には神馬像が。晴れ乞いには白馬、雨乞いには黒馬を奉納するとよく言われているからセットなのだろう。奉納者は「下總古河愛國講」。「下総古河」は現在の茨城県古河市

 

 

 

・拝殿の絵馬

 

 

 拝殿にも狐の菊人形がたくさん。

 

 

 拝殿の扁額。

 

 
 大鳥居、楼門、拝殿、本殿と続く社殿はほぼ南に向かって建ち並んでいる。拝殿の周囲には四神らしき飾りが立っていた。

 拝殿の向かって左、西側の壁面から絵馬を見ていく。

 

 

 「安政三◯年 一月吉日?」「常陽真壁郡 〇〇村? 願主 兵治? 定吉 弥吉 昨二郎」。

 画題は『三国志演義』より「桃園の誓い(桃園結義)」の場面を描いており、人物は右から張飛劉備関羽(左の女性は従者か)。

 

※画題については日本の三国志受容を研究されているkyo様にご教示いただきました。感謝申し上げます。

・kyo様のブログ 尚書省 三國志部

 

 

 左下に「茨城○○○○」「東京市本所」などとある。橋には「堅川」と書かれている。堅川は東京都江東区墨田区を流れる運河だ。

 右側に商家の人々が、左側に橋と帆掛船が描かれた絵馬。帆には山型に六の屋号が見える。今まさに降ろしている様子の積荷は炭俵に見える。

 

 

 歌舞伎の番付のような絵馬。額右辺に「明治二十九年十一月吉日」とある。西暦では1896年になる。

 

 

 一条戻橋での渡辺綱茨木童子の絵馬。判別が難しいが右上に絵師の落款、左下に奉納者らしき名前がある。

 

 

 店先に大きな羽釜がある。運河に面しているのだろうか、船も描かれている。左上に「嘉永三庚戌年十一月二十五日」とある。西暦でいうと1850年。積まれた桶に「稲荷丸 三」と書かれた札?がある。左下に「土浦 色川蔵? 杜氏 喜助」と書かれているようにみえる。現在の茨城県土浦市にあった造り酒屋の絵馬か?

 

 

 竹の絵馬。

 

 

 

・廻廊の絵馬

 

 

 楼門から拝殿を取り囲むように廻廊がぐるっと続いており菊が所狭しと飾られていた。扁額や絵馬もあちこちに掲げられていた。

 

 

 廻廊にあった扁額。 

 

 

 「楠公桜井の別れ」の絵馬。「大正五年旧八月一日」「栃木縣塩谷郡」「願主亀田喜三郎」。

 

 

 黒馬の絵馬。「常州茨城群神宿村」「佐久間榮助」。「弘化三丙午年○○○○」。西暦1846年奉納。

 

 

 ダイナミックな唐獅子牡丹の絵馬。「有馬氏 敬白」「文久二壬戌年正月十一日」。西暦1862年

 

 
 駆ける黒馬の絵馬。「水戸祝?町?」「吉野屋新助」

 

 

 ニ人の女と争う男の絵馬。浄瑠璃の演目で通称「白石噺」「宮城野信夫(みやぎのしのぶ)」と呼ばれる姉妹による仇討ちの話を元にしているかもしれない。年紀は右に「弘化三歳〇〇・・・」。

 

 

 境内にはところ狭しと石碑が林立している。

 

 

 龍が彫られた絵馬。「水戸上?市久保町」「小口偒?章」。

  

 

 

 

・本殿

 
 国指定重要文化財の本殿は江戸末期の安政〜万延年間(1854~1860)の再建で、銅瓦葺総欅の権現造。

 彫刻は、後藤縫之助による「三頭八方睨みの龍」「牡丹唐獅子」、弥勒寺音八と諸貫万五郎の作「蘭亭曲水の図」などがあるらしい。

 

 

 拝殿の後ろには狐の像がまとまって置かれていた。

 

 

 

 

 

・笠間稲荷美術館

 

 本殿のさらに奥は笠間稲荷美術館がある。建物は正倉院を模した高床式平屋建で昭和五十六(1981)年三月開館。笠間焼が影響を受けた信楽常滑・瀬戸・越前・丹波備前の中世六古窯の古陶器を常設展示したり、室町~戦国時代の画僧・雪村や日本画家の上村淳之の作品等を所蔵しているようだ。

 菊祭りに合わせて美術館の前庭も花であふれていた。

 

・笠間稲荷美術館ウェブサイト・・・http://www.kasama.or.jp/sanpai/museum.html

 

 

 

 

 笠間稲荷神社②へつづく・・・。

 

 

 

笠間稲荷神社・・・茨城県笠間市笠間1番地