笠間稲荷神社の絵馬②(東門、社務所)
「日本三大稲荷」に数えられることも多い笠間稲荷神社の絵馬を見に行った。何度かに分けて奉納物を紹介していきたい。笠間稲荷神社への道のりや由緒などは記事の①を参照してほしい。
※訪れたのは2020年です。現在とは公開状況が変わっている可能性がありますのでご了承ください。
・笠間稲荷神社の絵馬①はこちら ↓
・東門
笠間稲荷ウェブページによれば、現在の東門は1816(文化十三)年に再建されたものらしい。棟部の装飾や隅棟の鬼瓦の宝珠も立派だ。内外に掲げられているのはほとんどが絵馬ではなく扁額だ。額の彫刻が凝っているものが多くて見飽きない。
東門の周囲には狐の石像や天水桶を模した奉納物が点在していた。訪れた時はちょうど菊まつりの時期だったのでお守りやお札を納める小屋や食べ物の屋台が出てにぎやかだった。
東門はその名の通り境内の東西に面して建っている。ここからは時計回りで境内側(西側)から、北、東、南の壁面、そして建物の中の奉納物を見ていく。
境内側の壁面は3点ほど大きな扁額が掛かっていたが屋台などがあったのでうまく撮影できなかった。「谷?區消防」「大正七年五月」。
北側の壁面。重なり合うように扁額が掛かっている。
わずかに下方に帯のような絵が残っている絵馬。
扁額に稲穂と宝珠を持った稲荷神の彫刻が。「家内安全 商賣繁昌」「太田町 義明 刻」。
かなり文字が薄れている扁額。「御寶講」「中山道」「大宮町」。
この扁額は特に額の彫刻が立派だった。様々な姿態の狐が彫られている。「向島 渡邊 作」とある。腕のいい職人だったのだろう。他の寺社でもこの渡邊による彫刻や扁額を見ることが今後あるかもしれない。
東側の壁面(境内の外に面した側)を見ていく。派手な色の御幣が立てられている。
「豊穣」。稲荷神に捧げるにふさわしい文字と感じられる。「少教正源義明 敬書」。
調べると「(少)教正」とは、1872年に教部省のもとに設置された教導職という国民教化官の名称で、神官や僧侶を任命して準官吏とし神道信仰を民衆に説いて教化するという狙いがあったが信教自由の思想と仏教界側の反対が強くなり、1877年に教部省の廃止に伴って消滅した職らしい。
また「源義明」と検索すると「平田塾と地方国学の展開 武蔵国の神職を中心に―」という論文に、榎本伊勢という武蔵国足立郡塚本村の神明宮(現・さいたま市西区塚本町2-180- 1の神明神社か)の神主の諱が源義明と載っている。
扁額には奉納年が見当たらないが、上記の情報が正しければ1872(明治五)〜1877(明治十)年の間になるだろう。
参考:
・コトバンク 教正
https://kotobank.jp/word/%E6%95%99%E6%AD%A3-478436
・コトバンク 教導職
https://kotobank.jp/word/%E6%95%99%E5%B0%8E%E8%81%B7-478774
・中川和明「平田塾と地方国学の展開 武蔵国の神職を中心に―」『書物・出版と社会変容 14 』「書物・出版と社会変容」研究会、2013年、84頁
龍の装飾が立派な扁額。「豊?楽」「七十一翁水雲?書」「慶應元」「乙丑 繩?兮」「下州鹿沼?宿」「月条?構」
「惟徳是依」と書かれている。『春秋左氏伝』(僖公五年)に「鬼神非人実親、惟徳是依。」という一説があるらしい。そこからの引用か。
ここからは南の壁面の扁額を見ていく。
「花瓶?奉納 東京齊?榮講?」
「笠間稲荷 願主 佐藤源 金子吉 大久」左下に「大正十年六月高橋藤?書」。
「大正十二年 三月吉日」「発起人 飯野市太郎 世話人 猪山市太郎 飯野釜吉 田島亀吉」左下に「太田櫛〇 座間眞?正堂」
鳥居が描かれた絵馬?金属製のようだ。
牡丹をあしらった扁額。「横濱 神宮講」「大正十四年四月吉日」「先達 石田清童 講元 雨宮勇次郎」。
わずかに「太々神樂〇〇」と読める。
鳳凰のような額。「奉納 笠間稲荷神社」「鹿沼講中」。左上に「辛未貮月」。
さほど大きくない扁額にも狐の彫刻が。
東門の内部にもおびただしい数の名前が記された扁額や芳名板がある。
反対の面は天孫降臨の場面の彫刻。
「湊」と書かれた小さな纏の奉納額。
大きな稲穂の紋の彫刻も。
社宝の大毛綱も飾られていた。
・社務所
境内西側の大きな社務所の外壁にも大小の絵馬がずらっと掲げられていた。
鎧で身を固めた豪傑の絵馬。右手に白くて細長い箱をもち左手を刀にかけている。右足は力強く何かを踏んでいるようだ。細長い箱が皇大神宮の札だとすれば、近松門左衛門作の浄瑠璃「国性爺合戦」の主人公である和藤内の虎退治の場面だろうか。いまは判別できないが右足では虎を踏みつけているのかもしれない。
「第貮回 大〇〇〇?」「昭和二年丁卯五月?〇〇」
馬上で背後を振り返る人の絵馬。
何が描かれているかほとんど判別できない奉納額。
「東管大宮工場」「第壹木工部」。写真の上部には「大正二年式壹貮等新造車」。現在の埼玉県さいたま市大宮区に置かれていた日本鉄道の大宮工場に関係する奉納額だろう。
人物が描かれた絵馬。右側の人物は冠を被り、長いあご髭を生やし鎧を着ているように見える。
ほとんど絵柄が薄れてしまった絵馬。頭巾や帯らしき形が点在している。
木彫の額。
3人の武将が描かれた絵馬。中央の軍配をもった人物の頭の黒い部分は髪のように見え、左下には冠を被り鎧を着た人物が描かれている。神功皇后と武内宿祢か。
源頼政と家臣の猪早太による鵺退治の絵馬。「久慈郡太田村 大世話人 川合藤介」「世話人 茨城郡面?潟村 笹島藤吉 那河郡湊村 関根佐吉 那河郡中臺?村 石川定吉」
三国志の桃園結義の絵馬か。専門の絵師によるものだろう。
龍の装飾が立派な扁額。右側にぼんやりと「靈」の字が浮かび上がっている。
菊菱の文様が派手な扁額。四隅に「稲村」、上部に「稲荷神社」、下部に「大日本國益舎」とある。「第二回内國勧業博覧會褒状寫」「東京府東京市本所區番場町 稲村清次郎」「莫?林?〇銕?製〇〇軽便ニシテ勞力ヲ省ク頗ル?嘉スヘシ?」「籾早摺器械」「審査官 諏訪鹿?二 岡田真一郎 正七位池田謙蔵」「審査部長従四位勲三等田中芳男」「審査官長従三位勲三等九鬼隆一」「明治廿三年七月十一?日總裁大勲位貞愛親王」。「有斐亀井直 書」とあるのは、幕末から明治三十年代に笠間で活躍した書家の亀井有斐のようだ。
笠間稲荷神社③へつづく・・・。