古四王神社(象潟)の絵馬
(古四王神社)
・古四王神社の概要
古四王神社の本社は秋田市寺内字児桜に鎮座し主に日本海沿いの秋田、山形や新潟に同名の神社が分布している。創建年代不詳だが社伝では崇神天皇(記紀神話の皇室系譜では第10代の天皇、大和政権を確立し国内統治を進めた)の代に、国土を平定するため4地域に派遣された四道(しどう)将軍のうちのひとり大彦命(おおひこのみこと)が北辺鎮護の神として武甕槌命(たけみかづちのみこと)を祀ったことに始まるという。のち斉明天皇時代(在位は西暦655~661年)の将軍である阿倍比羅夫(あべのひらふ)が大彦命を合祀し古四王と称して崇めた。古代の大和政権の政治・軍事拠点である秋田城の鎮守であり、のち古四王大権現と称して信仰を集めたという。
象潟に分霊されたのは境内の看板によれば弘長三(1263)年。祭神は武甕槌命、大彦命のほか、経主神(経津主神、ふつぬしのかみ)、㷬(火に莫)速日神(樋速日神、ひはやひのかみ)だそうだ。
境内に建つ看板では船絵馬について説明されており、ここ古四王神社はこの地域で最も多い37点が奉納されているとのことだ。
参考
・コトバンク 古四王神社
https://kotobank.jp/word/%E5%8F%A4%E5%9B%9B%E7%8E%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE-501039
https://kotobank.jp/word/%E5%B4%87%E7%A5%9E%E5%A4%A9%E7%9A%87-83807
https://kotobank.jp/word/%E5%9B%9B%E9%81%93%E5%B0%86%E8%BB%8D-74408
https://kotobank.jp/word/%E6%96%89%E6%98%8E%E5%A4%A9%E7%9A%87-68269
・コトバンク 秋田城
https://kotobank.jp/word/%E7%A7%8B%E7%94%B0%E5%9F%8E-24563
http://kojiki.kokugakuin.ac.jp/shinmei/hihayahinokami/
石の鳥居は文久二年の奉納。
参道は北東から南西にむかって伸びている。社殿は北東に面している。
扁額は亀の甲羅。
・古四王神社の絵馬と奉納物
古四王神社の拝殿へ足を踏み入れる。
全体をぐるっと見回す。正面(南西)には大きな「古四王」の額。左右には白い千羽鶴が二組。すぐ右には大きく立派な白馬の絵馬が。
向かって右側(北西にあたる)の壁面には大きな絵馬と由緒書き、何枚かの写真と船絵馬が4枚ほどある。
拝殿内で正面を向いた時の背後、出入り口の側(北東にあたる)の壁には二段になって船絵馬が掛かっている。上段には9枚、下段には11枚。そのうち上段の中央と下段の左から5枚目には船が二艘描かれている。
拝殿の正面に対して左側(南東にあたる)の壁面。7枚の絵馬があり左から3番目を除きすべて2艘ずつ船が描かれている。
以下ではここまで見てきたように時計回りに奉納物を見ていく。
・正面(南西)の奉納物
「古四王」の大きな扁額。案内の看板にあった藤原(六郷)政鑑(ろくごうまさあきら、嘉永元~明治四十・1848~1907、出羽本荘藩十一代)による社号額とはこれのことだろうか。
・右側(北西)の壁面の奉納物
立派な白馬の絵馬。昭和八(1933)年の奉納。これとほぼ同じものを隣の由利本荘市の本荘八幡神社で見たことがある。絵師は野村雪江か。
参考:野村雪江 東文研アーカイブデータベースhttps://www.tobunken.go.jp/materials/banduke_name/802306.html
いくつか写真が飾ってある。
「象潟矯風會義勇消防隊」への感謝状。下にあるのはその消防隊の集合写真だろうか。
横綱梅ケ谷(2代目)の土俵入りの写真。
由緒書。
全く同じ柄の絵馬が複数奉納されているようだ。
羽織袴姿の男たちの集合写真。建物の前に旗が交差して立ててあり「矯風會」と書いてあるように見える。前記の感謝状の贈り先の団体か。建物の入り口にも看板がある。
・出入口側(北東)の壁面の奉納物
2段になって上段には9枚、下段には11枚、合計20枚の船絵馬が奉納されている。
まず上段を左から順に見ていく。
「海上安全 明治戌七年七月吉日」とあり奉納者の名がいくつか書かれている。船の上の旗には「觀音丸」とある。
「大正貮年九月吉日」奉納の絵馬。旗には「酒運丸」と書かれているようにみえる。
「嘉永二己酉歳十二月三日」「冠石 武助」。
「明治十年丑七月」「土門?氏」「八光丸」。
「永明丸」と書かれている。奉納者名はなし。全体に黄色っぽく色あせておりシワが寄っている。木に絵の具で描いたものではなさそうだ。
二艘の北前船が描かれた絵馬。右上に「海上安全 奉納」左下に「明治十一年寅七月日 荒谷屋町 嶋田正吉」、船の名は左右どちらも同じく「寶幸丸」に見える。
「明治十五年八月十八日 舟中安全 爲」「由利郡塩越村奥山勘三郎」「伊法丸」。
左隣の絵馬と、奉納者と奉納日が同じだ。「明治十五年八月十八日 舟中安穏 爲」「由利郡塩越村奥山勘三郎」「福徳丸」。
「明治十丁丑年七月吉日」「願主 佐藤直蔵」「春日丸」。
以下では出入口側(北東)の壁面の船絵馬を下段の左から順に見ていく。
黒ずんでいる。これも「永明丸」の船絵馬。
これと同じ絵馬が右側(北西)の壁面など他にも数枚奉納されている。
紙を糊で貼っているようだ。
右側(北西)の壁面と同じ図柄の船絵馬。
年紀が見当たらない。右上にも二艘の船の旗にも「光善丸」とある。左下には「森権九郎」と奉納者の名前が。
ここにも同じ絵馬が二枚。
名前などは剥落してしまったようだ。
「天保十二年丑八月」「羽州(象)潟冠石土門治兵衛」「住吉丸」。
「明治十六年癸未六月吉辰 〇門富太郎」「玉光丸」。
・左側(南東)の壁面の奉納物
拝殿の正面に対して左側、南東の壁面にある7枚の絵馬を左から順に見ていく。
「御寶前」「權九郎」。手前の船の幟は「光善丸」。表面に紙を糊ではったような皺ができている。
「奉納 御宝前 明治十三年辰七月」「森権九郎」。手前の船も奥の船も幟は「光善丸」と書いてあるように見える。
「奉納 新町 佐藤鉄造」。幟には「海寶丸」、「明治十七年旧七月十五日」とある。
「奉納」「御宝前」「明治十五歳 午ノ七月」「船頭 森権九郎」これもやはり手前の船も奥の船も幟は「光善丸」と書いてあるようだ。
「奉納 御宝前 明治十三年七月」「由利郡塩越村 森権九郎」。船の幟は「光善丸」。
「權九郎」。手前の船の幟は「光善丸」。これも紙を糊ではったような皺が表面にできている。
「奉献」「由利郡塩越村荒谷 佐々木福次良 明治廿七年 旧六月十四日」。
「奉納 明治十三年辰七月 御宝前」「森権九郎」。
・まとめ
二艘の船が描かれた絵馬が多く、非常に見ごたえのある奉納物群だった。
境内にある看板に書かれている数と実際に奉納されている船絵馬の数が合わないが、神主さんによればすぐ近くの象潟戸隠神社も合わせて管理しており、以前は古四王神社にあった船絵馬を先代の神主さんが戸隠神社に移動させたこともあったらしい。例えば過去の論文を確認してみると、高橋正「秋田県内絵馬調査報告」(『秋田県立博物館研究報告第26号』、2001年、43~56頁)では象潟神社の絵馬と合わせて、217番から249番まで33枚の古四王神社の絵馬が報告されているが、そのうち218番の船絵馬(55頁の図版9)は、私が訪れた時点(2019年)では戸隠神社にあった。
象潟戸隠神社と同様、ここ象潟の盛んな海運が偲ばれる神社だった。