(本荘八幡神社の鳥居)
・本荘八幡神社の概要
JR羽後本荘駅から歩いて十数分。秋田県南部、日本海に面する由利本荘市の中心部、かつての本荘藩の城下町エリアに本荘八幡神社は所在している。
口碑に伝えられているところによれば、寛治年間(西暦1087〜1094)、菖蒲崎中島(子吉川を挟んで現在地の対岸あたり)に鎮座したことから神社の歴史は始まる。文安五(1448)年、洪水で流失したため再度石清水八幡宮の御分霊を奉斎した。応仁年間(西暦1467〜1469)には赤尾津大野ヶ原(現在の由利本荘市松ヶ崎大野か?)に遷座し、慶長十二(1607)年、新たにこの地を領した最上氏の家臣である楯岡豊前守満茂が本荘城を築城した際に鬼門の方角にあたる現在地に遷宮した。元和九(1623)年、改易された最上氏に代わり六郷兵庫頭政乗が本荘に入部して以来、代々の氏神として崇拝してきた。享保五(1720)年、本荘藩四代藩主の六郷政晴は本社及び末社を改築。現在の本殿及び拝殿は宝暦九(1759)年に六代藩主の六郷政林が改築したものだ。
祭神は応神天皇(誉田別命、ほんたわけのみこと)、神功皇后(息長帯比賣命、おきながたらしひめのみこと)、八幡比賣大神(玉依比賣命、たまよりひめのみこと)。
http://akita-jinjacho.sakura.ne.jp/tatsujin_etc/01_jinja/yurihonjou/100_hachiman_yachimachi.html
・境内と社殿の様子
訪れたのは秋の終わり、イチョウの葉が雨に濡れて鮮やかだった。
本荘八幡神社には現在の福井県で産出する笏谷石を使用した一対の狛犬がある。16世期中頃の作例と推定され、近世の北陸との海運を示す貴重な文化財だ。
軒下には八幡神の神使である鳩の顔がついた独特な書体の扁額が。「従五位下 藤原政恒」「天保十壬寅十一月」。六郷(藤原)政恒は九代藩主。
今日の運勢を占える「日易」があった。
軒下の彫刻もなかなか立派だ。
中は畳敷で、奉納された提灯がたくさん飾られているのが印象的だ。蛙股にあるのは六郷氏の家紋「六郷亀甲」。
由緒を書いた板。
・本荘八幡神社の絵馬
何箇所かに分かれて長押の上に大小の絵馬が架けられている。以下で一つずつ見ていく。
「奉掛御神前」「明和七庚寅年三月八日藤原政𦡫(月へんに義)」。明和七は西暦1770年。馬の背には龍や六郷亀甲を大きく描いた鮮やかな布が掛けられている。
般若の面が付いた額。「奉納」「明治四十三年庚戌年五月」。能や歌舞伎の「紅葉狩」からとって紅葉が描かれているのだろうか。「彫刻 鎌田一竿」については詳細不明。
波頭と日輪の絵馬。「明治丙申初夢 大莪?」。明治丙申は二十九年、西暦1896年。
神功皇后と武内宿禰の絵馬。「大正十六年正月 南陽謹冩(方印)」。「南陽」は日本画家の乾南陽(明治三~昭和十五、1870~1940)か。
参考:乾南陽 東文研アーカイブデータベース 東京文化財研究所 https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8583.html
立派な白馬の絵馬。これとほぼ同じものが象潟の古四王神社にもあった。絵師は野村雪江か。
参考:野村雪江 東文研アーカイブデータベースhttps://www.tobunken.go.jp/materials/banduke_name/802306.html
虎の絵馬。大正八年は己未(つちのとひつじ)、西暦1919年。
背中に御幣を立てた神馬の絵馬。唐草模様の青い布には「隅切り角に小」の紋が付いている。落款は「雪僊」と読める。牧野雪僊(文政四~明治三十七、1820-1904)か。
墨一色で8頭の馬が描かれた絵馬。「奉懸御廣前」「寛政九丁巳歳閏七月吉祥日」「敬白」。大きく書かれた「佐藤貞憙」「柴田平三郎」「佐藤五右衛門」は奉納にあたって中心的な役割を果たした人物の名前か。下部には「西小出郷」「満願寺」「鮎川郷」「滝澤郷」「潟保郷」「小友郷」「塩越郷」「石澤郷」「小吉郷」「金浦郷」「西目郷」「内越郷」「出戸田町」と、ずらっと地名と人名が並んでいる。
祭礼図。「奉納 明治三十三年八月十五日 願主 大祭典當番 後町 猟師町 若者」絵師は「雪僊行年八十歳筆」から牧野雪僊の晩年の作品とわかる。
黒い馬の絵馬。右上に「奉?懸御神前?」、左側に「寛政四壬子?〇〇七?月吉?日」「藤原政?」寛政四は西暦1792年。鞍に六郷家の家紋がある。
鶴亀のいかにもめでたい絵馬。左上に「奉懸御神前」、右側に「享和三癸亥年七月吉日 藤原政速」とあり、本荘藩七代藩主の六郷政速(ろくごうまさちか、明和元~文化九、1764~1812)の奉納とわかる。
参考:コトバンク 六郷政速
https://kotobank.jp/word/%E5%85%AD%E9%83%B7%E6%94%BF%E9%80%9F-1121216
八幡神の使いである鳩の絵馬。「奉掛御神前」「寛政五癸丑年九月吉日 藤原政?」寛政五は西暦1793年。本荘藩主でいえば六郷政林(元文二~寛政九、1737~1797)の時代。
二人の御者が連れた馬の絵馬。絵の具の剥落が激しい。左上に「十二」のような書き込みがあるが他は判別できず。
石灯籠に載った鳩が書かれた句額。鳩の右下には「象江画」とあり、本荘藩御用絵師の増田象江(ますだきさえ、文政元~明治三十、1818-1897)によるものとわかる。奉納年は「嘉永七甲寅年秋八月」、西暦1854年。
白ぶちの黒馬の絵馬。
絵馬に限らずいくつか奉納額がある。
句額。
大津絵っぽい絵が描かれた奉納額。
神功皇后と武内宿祢の絵馬。よく見ると右上の木に鳩もいる。
「奉納 慶應二 丙 寅年五月吉日」「千種了三 高儀(花押?)」「一雲齋梅山筆」。絵師は鈴木梅山か。
・まとめ
六郷氏という武家が継続的に庇護した神社だけあって、六郷氏に関係すると思われる立派な絵馬が沢山奉納されていた。津軽藩主や関係者が奉納した絵馬が多く残る弘前の高照神社や、同じ市内では隣藩の亀田藩の武士たちが絵馬を奉納した松ヶ崎八幡神社と比べるのも面白いかもしれない。