松ヶ崎の白雲稲荷神社拝殿の絵馬
通りから松ヶ崎大黒天の鳥居をくぐってまっすぐ進むとこの風景に突き当たる。左手の道を進むと大黒天、すぐ右手にあるのがこの白雲稲荷神社だ。
わずかに手水舎と拝殿、本殿しかない神社だが趣が感じられる。拝殿は京都御所から下賜されたものだというから由緒正しい。
祭神は稲荷尊、鬼子母神、牛の宮(?)。この辺りは神託により牛の飼育と井戸掘りが禁止されていた。かわりに馬の飼育がさかんで祭礼では競馬が行われていたという。
お賽銭をあげて柏手を打つ。すると、社からゴソゴソと戸を叩くような物音がした。驚きつつも拝殿に腰をかけて休んでいると、近所に住んでいると思しき年配のご夫婦がやってきて、ろうそくに火をともして拝殿、本殿の順に丁寧に拝んでいった。風雪に耐えた小さな境内はすっかり寂れてしまったようにみえる。しかし目には見えなくともここには確かに神様がいるのだと思った。
埃を被った拝殿の外側には三枚の絵馬がかかり、内側には色褪せた歌仙図がずらっとかかっていた。
だいぶ色あせてしまっているが、手前に馬や兵士がいて奥に橋がかかっているのがわかる。旗や人物の描写が日本と違うようなので、三国志か何かの光景を描いたのかもしれない(長坂橋の戦い?)。右上に「嘉」らしき字がある。「嘉永」(1848~1855)なのだとすれば160年以上前の絵馬になる。左下には「當」とあるのも読める。
右側の武人の上に「奉」と書かれているのがわずかに読める。左側の武人の錣(𩊱とも書く、しころ)を掴んでいるので、屋島の合戦の折、平氏方の悪七兵衛景清が源氏方の三保谷四郎国俊の兜の錣を引きちぎった「錣引」の場面を描いたとわかる。
これは何を描いたのかさっぱりわからない。風景画のように見える。
「奉獻」はなんとか読める。左上にうっすら「明〇〇〇・・・」とある。「明和」(1764~1772)だとすればおおよそ250年前のものになるが・・・。
小さな社だったが印象深かった。