紫野今宮神社の絵馬舎
紫野今宮神社は、本社の祭神が事代主命(ことしろぬしのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)、疫社が素戔嗚尊(すさのおのみこと)だ。
この地には平安建都以前より疫神を祀る社があったといい、平安京で行われた疫病や災厄を鎮める御霊会が今宮祭の起源である。創祀は1001(長保3)年とされる。
拝殿には三十六歌仙図が掲げられていた。
碁盤のような台に乗った狛犬。
西陣で八百屋の娘に生まれ将軍綱吉の母となった桂昌院の庇護も厚く、中興の祖とされる。
「阿保賢(あほかし)さん」は、病気平癒、また願掛けの重軽石とも。
絵馬舎は登録有形文化財で1800(寛政12)年建立。全国的にみても大きな絵馬堂のひとつだろう。ここは海北派の絵馬が多い。海北派とは、海北友松を祖とする絵師の一派で、子の友雪の代に春日局の推薦により禁裏造営の絵師に加えられ、以後代々禁裏御用を務めた。
武人の図。ギョロリとした目が特徴的だ。右上に「奉納」左に「正月吉日」とあり、左上の隅にも何か書かれている。右下には「願◯寺?田清◯席?敬白」「典長?画(方印)」とある。
これも海北派の絵馬。「海北門人 友鶴斎画」とはっきり読める。
署名は「雪光」?と読むのだろうか。上半身ハダカの男が太鼓を叩いている。画題も気になる。
文字は見当たらない。毛むくじゃらの動物?を踏みつけているので、加藤清正かもしれないが、大鎧を着ていることから考えればむしろこれは鵺で、武人は源頼政かもしれない。
寛政十(1798)年、海北友徳(1763~1847)の作。神功皇后が新羅遠征の前に鮎釣りをして占った様を描いているのだろう。
今宮神社には木馬がある。普通、神社では神馬舎をつくって木馬を祀るのだが、ここでは絵馬舎にそのまま置いている。奉納された当時の面影はないけれど、立ち姿はなんとなく優美である。
調べると京狩野の8代目である狩野永俊(1769~1816)による八幡太郎義家(源義家)を描いた絵馬らしい。寛政九年は1797年。
これは原在中(1750~1837)による作品。表情が豊か。画題は孔子、老子、釈迦を描いた「三聖」かと思ったが。
鳥が描かれている。小さいながら出来のいい絵馬だと思う。右端にわずかに「堂川貴?瀧〇〇・・・」とある。
明和九(1772)年の絵馬。春甫筆とあり、狩野派の鶴沢探鯨に学んだ江村春甫(生没年不明)の作か。
寛政十三年の作。侍女が持っているのが桃だとすれば、右にいるのは西王母だろう。「西澤通?華?画」という落款がある。
謡曲「白居易」で漁夫の姿をした住吉明神と白居易が出会う場面を描いている。「海北斎宮亮」というのは海北友徳のことをさす。
(参考:http://flattravel.blog.fc2.com/blog-entry-62.html)
わずかに恵比寿と大黒らしい絵が残っている。
安政二(1855)年の絵馬。
左下に「祖先友竹斎以古圖 海北友徳斎 補◯? 行年八十四」とある。海北友竹(1654~1728)の描いた絵馬に友徳が補筆したらしい。
松竹梅の樽がたくさん。休憩所兼物置のように使われているようだ。
「江戸 両国 飴?豊」とある。両国の飴屋の落書き?