都営地下鉄南北線の志茂駅で降り、住宅街の中を10~15分ほど歩いていくと志茂熊野神社に着く。本殿へと続く長い参道の右手、手水所の隣に絵馬殿がある。祭神は伊邪那岐神、伊邪那美神、事解之男神。創建は不詳ながら旧別当寺の西蓮寺の梵鐘に、1312(正和元)年の熊野三社権現を勧進した旨の刻印があるという。毎年2月7日に厄払いと五穀豊穣、悪霊退散を祈願する「白酒祭」が行われることでも有名で「鬼」と書かれた的がこの絵馬殿前に設置され矢が射られるそうだ。
建物というよりは掲示板のようだがきちんと屋根も付き、参道に面して4点絵馬がかかっている。
武将が闘っている様が描かれているのは分かるが、どういう合戦なのかは不明。波頭が見えるので壇ノ浦かもしれない。
境内図。宮島の厳島神社だろうか。
右上に建物がありひときわ体の大きな人物がいる。左手には山伏姿の人物が数名見える。酒呑童子退治の一場面を描いているようだ。上記の合戦図?と詞書の位置と形式が一緒なので同じ作者のものかもしれない。年紀は明治十三年九月か?西暦で言うと1880年にあたる。
有名な天岩戸の神話が描かれている。油絵か?
詞書は「伊勢參宮記念 大正參甲寅歳四月吉日 稲垣市太郎 篠田元二郎 稲垣源三郎 篠田幾太郎 富田留吉 富田定吉 金子勝太郎」
落款は、「方蒙」というのだろうか。詳細求む。
裏側にまわってみた。2点の絵馬、1点の奉納額とこの絵馬殿の設立趣意書があった。絵馬はガラスの反射でほとんど図柄が見えないが、左は厳島神社、右は伊勢神宮の境内図か。奉納額には「奉献 紅白幕一張 岩渕町消防組第二部 縨?職?記念 昭和七年 十月一日」とあり、奉納者の名前もあった。
この絵馬殿は昭和59年に建てられ、平成11年に改修されたことがわかる。平成3年に社務所を再建した際の趣意書も掲げられていた。
絵馬殿のすぐ横の建物(神楽殿)にも額が2枚あった。
神楽殿の奉納額は、一枚は伊勢参宮記念のもの。もう一枚の細かく字が書かれているのは「恤兵会寄付金募集趣意書」で、日露戦争の際に出征軍人やその家族のために寄付金を募った旨と出征軍人、会の役員、寄付者が書かれていた。
おまけ
(のらねこ)
・志茂熊野神社・・・東京都北区志茂4丁目19−1