京王線の明大前駅から下高井戸駅に向かって5分ほど線路沿いに歩いて左に曲がり「菅原天神通り」という道を住宅街の中へしばらく進む。この辺りは地名を松原という。右手に緑が見えてくると菅原神社、通称「松原の菅原神社」はすぐそこだ。創祀としてはこの地に寺子屋を開いていた石井兵助直慶なる人物が寛文五(1665)年二月に勧請したと石碑や勧請札に記されているらしいから、意外に古い。
(参考 東京神社庁菅原神社:http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/setagaya/5342/)
石鳥居をくぐって境内に入ると左に小さめの絵馬堂があった。
※絵馬堂について、この神社における正式名称は見つけられなかった。他サイトでは「絵馬殿」や「絵馬所」と呼ばれているようだ。以下では便宜上、絵馬堂と呼ぶことにする。
まずは拝殿に挨拶をすます。そして境内を見て回る。
狛犬に鳩がのっていた。
弁天社の前の池には朱塗りの橋が架かり鯉も泳いでいる。よく見ると石鳥居も立派である。
力石もあった。
さっそく絵馬堂を見る。そう古くはなさそうだ。柱についた獅子の木彫や参道に面して二つ付けられた六歌仙の浮彫がトレードマークのようだ。
特に六歌仙はなかなか立派な出来でネズミ除けの針すら後光のように見えてくる。
絵馬堂の内部へ。
一昔前のものらしい落書きもあった。
左手(北東)の奉納物から時計まわりに見ていく。
よく見ると和歌らしい文章が書いてある。
くるっと円を描いて梅の枝が伸びている。横には「扁額奉献の辞」。それによればこの梅の額は昭和二十七(1952)年に米軍の占領が終わりサンフランシスコ講和条約が締結発効されたことを機に平和を祈念する元在郷軍人会が奉納したものらしい。
絵馬が3点。上に祭壇を描いたちょっと立派な絵馬。梅紋がはいった赤い幕にはよく見ると細かい唐草模様が入っている。
下には二枚。ラフなタッチの女性の拝み絵馬があり、隣に赤い牛の絵馬がある。天神様に付き物の牛を選んで奉納したのだろうか。
梅とともに書かれた和歌は有名な「東風吹かば〜」であった。
梅の左右に番付。「祈武運長久」「支那事変出征軍人」とある。
写真が奉納されている。近辺の消防団の集合写真がなにかだろうか。
女性の拝み絵馬。社の中の御幣から日本髪の女性へ光のような何かが射している。女性のタッチが少しリアルで色気がある。
菅原神社の境内を描いたものか。よくみると建物の屋根に衣冠束帯の天神様がいた。
3枚一そろいで奉納されたのだろう。左に大黒天、右に天神というのは庶民の人気が高い神様トップ2といったところか。
上から「納」「戦利品」「大正貳年二月拾壹日」「陸軍重砲兵上等兵・・・」とある。大正二年は1913年。大正デモクラシーのころであり、大きな戦争でいえば日露戦争と第一次世界大戦の間である。鹵獲した兵器の破片のようなものや薬莢にもみえる鉄くずが板に付いている。
消防団の額もあった。
大小の牛車の車輪。実際に何か神事や祭礼で使われたものだろうか。
小さい絵馬堂ながら地域の歴史が感じられて興味深かった。
◯菅原神社・・・東京都世田谷区松原3-20-16