JR総武線下総中山駅から徒歩10分、京成線京成中山駅からだと5分。正中山法華経寺は通称を中山法華経寺といい日蓮宗の大本山だ。
参道の「黒門」をくぐって進む。
大きな山門をくぐると石畳の道が続き、左右に寺院がずらっとならんでいる。
橋の欄干にはザクロを模した飾りがついていた。鬼子母神のシンボルだろう。この境内には江戸三大鬼子母神に数えられた大きな鬼子母神堂もある。
法華経寺はそもそも日蓮に帰依した武士の持仏堂からはじまった名刹で、周囲にはたくさん伝説も残されている。また境内の聖教殿(昭和6年建立)は、築地本願寺などをてがけた伊藤忠太の設計によるもの。インドの仏教建築を模し、国宝の日蓮の御真筆による「立正安国論」などが保管されている。境内の堂宇の多くも重要文化財に指定されている。
絵馬堂を見る前に少し境内を見て回る。
祖師堂は二つ建物が連なったような形が印象的だ。
聖教殿。
案内図にも絵馬堂が。
境内にはさまざまな建造物があり、例えば絵馬堂前にある蒋介石の胸像はひときわ目を引く。なぜこんなものがここに・・・。検索すると設置当時の管長が親交があったという情報がでてくる。この日は見つけられなかったが頭山満の胸像もあるらしい。不思議だ。
ここからが本題。絵馬堂へ。
ふつう絵馬堂は四方に壁がなく柱と屋根だけのタイプが多いのだが、ここは三方が壁に囲まれている。花頭窓などの装飾がみられるのも特徴的だ。
全体はこんな感じ。
反時計回りにそれぞれの奉納物を見ていく。
なにが描かれていたのか判然としない。額に「奉納鬼子母尊」とあるので、鬼子母神に関係する図柄かも。
銭で鳥居が形作られている。
中国の武人が机に向かっている。
今度は銭で塔が作られている。
鬼子母神の絵馬と並んでいわゆる「拝み絵馬」があった。男の前にはサイコロなどが置かれているから、賭け事断ちの祈願だろう。
銭で作られているのはおそらくザクロだろう。
袖を猿に引かれた日蓮上人。四大法難のひとつである「松葉ヶ谷法難」に由来する場面だ。
船の模型が奉納されている。古そう。
新しめの絵馬。右の絵馬にはロト6の番号が貼られている。賭け事断ちの絵馬がある一方、賭け事に当たる祈願の絵馬?もある。
武者が二人描かれたこの絵馬は永井荷風の日記「断腸亭日乗」の昭和21年10月31日に登場するらしい。荷風は晩年、ここ市川市に住んでいた。
「十月三一日、陰、正午歩みて中山に至る、法華経寺の境内鬼子母神祠前の絵馬堂を見るに一孟斎芳虎の描ける烏帽子武者人物あり、、また油絵の西洋風景があり、色彩剥落し画布半破れたれど珍しければ、奉納者の名を見るに、千葉県下長柄郡□□□□大字五井、片岡□□、米国サンフランシスコ在留せんまつとあり、いかなる女にや・・・」
(引用元:https://www.travel.smileandhappiness.net/nakayama-hokekyouji-hodenmon.html)
いまは埃を被ってしまってだいぶ色褪せている。落款も見当たらないが、かつては落款が読めたとのことである(http://yokano74ki.g2.xrea.com/index6c.html)から、永井荷風が見た絵馬はおそらくこれだろう。
描かれた武者が誰なのかについて荷風は何も触れていない。
よく見ると雷神が描かれているようだ。
獅子が描かれている。
鬼子母神の絵馬。周囲の人が拝んでいる。
かなり絵の具が剥落してしまっている。左の緑の部分は畳で、そこに人がいて奥に の祭壇を拝んでいるように見える。右の赤い部分は建物のように見える。法華経寺の境内を描いたものか。
長烏帽子の変わり兜に前立てと陣羽織についた蛇の目、胴の桔梗紋からして、間違いなく加藤清正だろう。表情が窺い知れないのが残念だ。
なかなか撮り甲斐のある絵馬堂だった。
ザクロがついた橋を渡って家路に着いた。
◯日蓮宗大本山 正中山法華経寺・・・千葉県市川市中山2-10-1