(氷川神社の楼門)
・氷川神社の概要
埼玉県さいたま市大宮区にある氷川神社は各地の氷川神社の総本社で武蔵国一宮とされている。祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)。創立は社記によると第五代孝昭天皇の御代三年四月未の日といい、時の権力者から崇敬されてきた。この辺りの地名の「大宮」も氷川神社を「大いなる宮居」と称えたことに由来するらしい。中山道から南北に2km伸びた参道は両側が美しいケヤキ並木となっている。
まずはその参道から氷川神社へ向かった。
(参考:武蔵一宮氷川神社ウェブサイト http://musashiichinomiya-hikawa.or.jp/keidai/index.html)
・参道と境内の様子
(二の鳥居)
県道2号と参道の交差点に二の鳥居が建っている。散歩している人がたくさんいた。
(三の鳥居)
境内の入り口に建つ三の鳥居の手前に案内図があった。額殿は三の鳥居をくぐってすぐ右手、神楽殿の隣に並んで建っているが先に拝殿まで行って引き返してくることにした。
(拝殿)
(神楽土鈴)
訪れたころはちょうど七五三の時期で、たくさん親子連れが参拝していて、菊花展も行われていた。
(ふくろ絵馬掛け)
「ふくろ絵馬」は、よそでは見たことがない。氷川神社のオリジナルなのだろうか。願い事を書いた絵馬を折りたたみ、袋に入れて絵馬掛けに掛けるもののようで、かわいらしい袋は全部で10色。プライバシーも守られ、ちょっとした発明といえそう。
(大宮のサッカーチーム「大宮アルディージャ」の必勝祈願絵馬)
・額殿
(右に神楽殿、左に額殿)
額殿の隣には酒樽を飾る棚が。2017(平成二十九)年の「明治天皇御親祭150年大祭」の時に埼玉県内の25の酒蔵から40個酒樽が奉納されたとのことで、普段は飾られているのだろうが、この時は額殿の中に樽が片付けられていた。
(※参考:武蔵一宮氷川神社 氷川神社についてhttp://musashiichinomiya-hikawa.or.jp/about/index.html)
額殿の柱にある看板には「この額殿は江戸時代後期の建造物です。先の関東大震災や東日本大震災には持ち堪えましたが老朽化が進んで居りますので建物保存の為筋交いを入れました」と書かれていた。
・額殿外壁の絵馬と奉納額
以下では額殿の正面から、反時計回りに奉納物を見ていく。
左の奉納額の右側、「半嶺中聞謹書(方印)」とあるのは幕末明治期の医師で書家の中根半嶺(1831~1914)のことらしい。奉納者は「橋本彦吉」。右の奉納額には「大御神楽」「當國比企郡小川町講中」とある。
正面の絵馬。とても目立つ位置にあるが図像は判然としない。右手前には立膝?の人物がひとり、左手奥に裃のような衣装を身に着け右手に扇を持った人物がひとり。狂言か何かの様子を描いたのだろうか。
「奉納」「太々御神楽」「大宮菓子業共和組合」「創立十五周年記念」大正十五年の奉納。波と龍を彫刻した額も立派だ。
向かって右側の壁面を見る。
昭和五十八年の奉納。「納札氷川連創立三周年記念」。
「奉獻」「大御神楽」。他の文字はほとんど判別できない。
「神徳」「昭和戊寅元旦」「杭州陣中」「八隅部隊長」「八隅錦三郎謹書」とある。昭和の戊寅は1938(昭和十三)年。
何も読めない・・・。
こちらも文字が読めない。刀掛けがあるので何らかの武術に関わる奉納額なのだろう。
道から見えない背面の壁へ。
文字が読めないが、こういう横長の額は句額が多い気がする。
裏手に回ると酒樽がたくさんあるのと筋交いの様子がよくわかる。
向かって左の壁面を見ていく。木が額殿のすぐそばに生えているので、写真が撮りにくい。
有名な歌舞伎の演目「勧進帳」の「武蔵坊弁慶」を演じる役者の絵馬。割れ目が痛々しい。ポーズはいわゆる飛び六方だろう。
「奉献」「佐田建設」「埼玉支店」「商売繫盛」「工事安全」とある。佐田建設は群馬県前橋市に本社を置くゼネコン。埼玉支店は大宮区にある。
絵師は「雲龍」(?)「一雄玉」(?)(方印)とあるが詳細不明。
絵の左側には「十一世市川團十郎」とある。十一代市川團十郎(1909~1965)が歌舞伎座で團十郎を襲名したのは1962(昭和三十七)年4月、54歳の時でこの時59年ぶりに大名跡が復活したが、わずか3年半後に没した。左下には「昭和六十三年五月(?)吉日(?)」「東𡬱(?)支店長(?)竹久雄」「社員一同」とあり(行書?が全然読めない・・・)、十一代市川團十郎が活躍していた頃と奉納年はだいぶズレている。大宮で歌舞伎の公演が行われた記念などに奉納されたのかも・・・と思ったが実際は奉納者の好みで絵柄が選ばれたのかもしれない。それとも私の調べが不十分なだけで大宮は成田屋と深い縁があるのだろうか。
(参考:成田屋 十一代市川團十郎 http://www.naritaya.jp/naritaya/tree/11.php)
絵柄が分からない絵馬。左右に巴紋が付いている。画面上に縦線が見えるのは建物の柱か御簾を描いたものだろうか。鎧武者らしき姿も何人か見える。
水面から顔を出す龍と豪傑を描いた絵馬。木目がまるで水の流れのように見える。豪傑の背後には木のような剣のようなものがある。右半分が隣の額に隠れて見えない。絵が残っている割に文字が消えかかっているのは書くのに用いた素材が違うのだろう。水滸伝の入雲龍公孫勝を描いたものか。
微かに文字らしきものが見えるが、ほとんど何もわからない奉納額。
「奉納」の文字しか読めない奉納額。
これで額堂の周囲の奉納物は一通り見ることが出来た。以下では額堂の内部をのぞいてみる。
・額殿内部の奉納額
天井にはたくさん千社札が貼られている。この高さ、どうやって貼ったのだろう?
まず正面の奉納物の裏手の梁にある奉納額を見る。「奉秦(?)大々御〇」1911(明治四十四)年の奉納。下の柱には氷川神社と金字で書かれた札。
向かって右の壁面、右端の奉納物から見ていく。
氷川神社の扁額が2点。一枚は「奉納」「明治四十貮年六月吉日」「氷川神社」「須田〇喜」、もう一枚は「奉獻」「大願成就」「北足立郡大宮町大門丁」「願主 小嶋寅治郎」「明治三十八年七月吉辰」「霞?亭古?川県象○○」。書家の名前が読めなかった。もっと書の勉強をしなければ・・・。
写真の入った額。「大宮工場第二回西比利亞派遣鉄道技巧班」「大正十一年六月十三日凱旋記念」とある。鉄道博物館に行けば詳細について何かヒントがあるだろうか。
正面の梁に奉納額。「奉祝天皇陛下御在位五十年 大灯篭一対」1976(昭和五十一)年の奉納。
向かって左の壁面を見る。
「奉納」「官幣大社氷川神社」「太々御神楽」「鐵道局大宮工場木工部」「大正十一年四月吉日」「鐵道大臣元田肇謹書」とある。前に見た「西比利亞」(シベリア)へ派遣した鉄道技巧班の凱旋記念写真の2か月前に奉納されている。何か関係があるのだろうか。元田肇(もとだはじめ、1858〜1938)は大分県出身の政治家。衆院議員当選16回、勤続40年余の間に第1次山本権兵衛内閣で逓信相、原敬内閣で初代鉄道相、1928(昭和三)年には衆院議長を務め、政友会の長老として大正・昭和の政界で活躍した。奉納時は原内閣からそのまま留任した高橋内閣(1921.11.13~1922.6.12 、大正十~十一)の鉄道相だった。
(参考:近代日本人の肖像 元田肇 https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/434.html)
よく見ると、「奉獻」「興〇町?○○」「明治二十九年一月凱旋」「彰○○」「埼玉縣北?足立郡大宮町」「𣘺?本安兵衛?」「従軍藥?〇師 〇?嶋○○郎」「応需○○・・・」と書かれているように見える。
次に、梁より奥の奉納額を右の壁から見ていく。
奥の右の壁、上に掲げられた奉納額。
奥の右の壁、下方の奉納額。たくさん人名がある。
奥の左の壁。文字の判別できない奉納額が看板が折り重なっている
小さいが立派な「太々御神樂」の額の隣にもまた立派な算額が。「奉納」「関流皆傳算師都築源右衛門利治門人」「後見 北埼玉郡平手林 関流皆傳 茂木孝匡」「仝 中種足 仝 都築利治」「世話人 堀越利佐 松村利輝 上野福永 谷部治正 敬白」「明治参拾壱年十一月十日」「昭和四十六年十月復元(?)」。
・まとめ
絵馬殿ではなく額殿だけあって、何かの記念に奉納された扁額や「氷川神社」「太神楽」の額が多い印象だった。大宮駅は交通の要衝であり、鉄道関連の奉納額があったこともここならではだろう。人名などを元にもう少し調査すれば大宮の意外な歴史が明らかになるかもしれない。
・おまけ
ついでに参道脇にある氷川だんご屋にも寄って、酒饅頭、揚げ饅頭、だんご、梅茶のセットを食べました。小腹を満たすにはちょうどいいボリュームでした。