根津駅から谷中方面へ向かって坂を上ると、だんだん寺院の多いエリアに入っていく。日荷堂(にちかどう)へ行くには15メートルを超えるヒマラヤ杉が目印になる。
上野戦争でも焼けずに残った山門をくぐる。右手にお堂があり、これは明治四十四(1911)年の建築。タイル張りの床面がおしゃれ。
延壽寺日荷堂は明暦三(1657)年に開山した寺院を起源にもち、身延山から日荷上人像を勧請したのは宝暦五(1755)年。以後「健脚の神様」を祀る寺院として江戸庶民の信仰を集めてきたのだろう。毎月10日が御開帳日となっている。日荷上人は南北朝時代の人物で、横浜の称名寺にあった仁王像(もちろん二体!)を担いで、いまの山梨にある身延山まで運んだ逸話が残っている。
(延壽寺日荷堂ホームページ:http://nichika-do.jp/)
履物絵馬は主に明治期のものが84点あり、台東区有形民俗文化財にも指定されている。堂内は祈祷を行う神聖な場所なので入れないが、写真撮影は可とのことだ。
本当に様々な種類の履物絵馬がある。わらじや下駄、草履の本物をくっつけただけのものや、銭で形作ったものなどなど。小さい履物はミニチュアなのか、それとも子ども用の履物で、親が子のために奉納したものなのか。想像が膨らむ。
不思議なのは、拝み絵馬(奉納者がお堂や仏像を拝んでいる様が描かれた絵馬)はあるのに、履物を描いた絵馬が見当たらないことだ。何か「立体でなければならない」というような不文律でもあったかのようだ。
日荷上人の姿が描かれた奉納額も。眉間にしわがよっていかにも重たそう。この仁王像を背負った姿が描かれた絵馬が授与されている。
お堂の外壁にも絵馬が何点かあった。昭和十七年奉納の「皇軍武運長久」を祈願した奉納額。やはり軍隊でも健脚は求められただろう。どういう集団が奉納したのだろうか。「奉納金五拾圓也」「浅草 額浅作」ともある。
「相撲桟敷方」とは相撲の入場券の売買仲介や接客を行う店舗のこと。世話人に「八百長」という名を見つけてしまった。これは・・・。
◯日蓮宗六浦山 延壽寺日荷堂・・・東京都台東区谷中1-7-36
2018.11.27. 加筆