地下鉄烏丸線の松ヶ崎駅で下車。松ヶ崎大黒天に向かう途中で見つけ、ふと立ち寄ってみたのがこの新宮神社だった。
かつて大比叡大明神と称した、旧松ヶ崎村の産土神である。村の日蓮宗改宗の時、熊野新宮より諾冊二尊を勧請し新宮大明神と改称した。妙泉寺の鎮守社として法華経・曼荼羅を神体として合祀し、寺僧が祭祀を行っていた。廃仏毀釈の際、妙泉寺より分離し、白鬚神社と称して猿田彦を合祀した。1887(明治20)年には社号を新宮神社とした。
境内には立派なモミの木がある。
(参考:http://kaiyu.omiki.com/singu/singu.html/http://kamnavi.jp/yamasiro/singu.htm/https://kyotofukoh.jp/report327.html)
拝殿の外側に6枚の絵馬がかかっている。内側には奉納された謡の演目が書かれた木製の額がいくつもあった。
よく見ると「正二位冷泉為理(ためただ)画」の文字がある。冷泉為理(1824~1885)は幕末から明治にかけての公卿。橋の上で女官と狩衣?を着て弓を持った武人らしき男が向かって右を見ている。男の胸には下り藤の紋。手には弓。藤原秀郷の百足退治の場面を描いたものかもしれないが、百足の姿を見つけることはできなかった。
木目が美しいくらいに画面をおおってしまってすっかり絵に勝っている。描かれているのは神功皇后と武内宿祢だろう。
龍に乗った天女を描いている。「玉峰謹寫」とある。うっすら「講中」の字と人名も見える。もしかすると四条派の松村景文に学び花鳥画を得意とした長谷川玉峰(1822~1879)の作かもしれない。
長刀をもった僧形の大男と若い侍が描かれている。義経と弁慶だろう。左下には「連水(速水?)○○」と書かれ印が捺されている。
疾走する二頭の馬。絵師名などはわからないが、京都上賀茂神社の競馬会神事を描いたものか。
虎と武人が対峙している。加藤清正の虎退治の図だろう。他の絵馬より比較的彩色が残っているので少し新しいのかもしれない。「松(渓?)」という署名があった。
このようないかにも村の守り神というような大きくない神社でも絵馬が残されているところがあるのだ。