御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)は安産の神として広く崇められている。創建年は不詳。貞観四(862)年に、境内から「香」の良い水が涌き出たので清和天皇より『御香宮』の名を賜ったのだという。豊臣秀吉は伏見築城に際して鬼門除けの神として崇め、徳川家康が慶長十(1605)年に造営した本殿は重要文化財になっている。表門も伏見城の大手門だったもので重文。拝殿は寛永二(1625)年の建立で京都府指定文化財。鳥羽伏見の戦いでは官軍(薩摩藩)の屯所となったが幸いにして戦火は免れた。十月の神幸祭は、古来『伏見祭』と称せられ、伏見九郷の総鎮守の大祭として聞こえている。
(参考:http://www.gokounomiya.kyoto.jp/)
立派な彩色は平成に入ってから復元されたもの。
絵馬堂は宝暦五(1755)年の建築。
那須与一だろう。まさに落ちんとする扇が小さく描かれている。
胴に蛇の目。加藤清正だろう。
この大きな猿曳(猿回し)の絵馬は正保三(1646)年に願主後藤庄兵衛、作者前田六之丞として奉納された。これに関して伝わっている話がある。
ある日、疲れと空腹のあまり息も絶えかけていた猿使いが神社にたどり着いたところ、猿が神前にわき出る水をすくい主人の口にそそいだ。すると猿使いはたちまち元気になった。一曲を舞って感謝を示したという。
また絵馬の奉納後、夜な夜な作物が荒らされたので住民たちが夜の番を続けた。一匹の猿を見つけだし鎌で切りつけたが逃げられてしまった。すると翌朝、絵馬の猿の腕がなくなっていた。絵馬から猿が抜け出さないように金網がかぶせられたという。
(参考:http://www.kyoto-np.co.jp/info/sightseeing/mukasikatari/070308.html)
左の絵馬に描かれているのは、休むときは驢馬を折り畳んでしまい乗る時には水を吹きかけて戻したという張果老か。
火消の絵馬。洋装の人物も描かれている。
大きなそろばん。
復元された算額が掲げられている。なんと絵馬の上に金具を打って載せてある。