網走神社は文化九(1812)年、場所請負人(松前藩から委託されアイヌと交易を行ったりアイヌを使役して漁業を行う商人のこと)の藤野四郎兵衛が網走川河口に漁場鎮護のため小祠を建立したのを創始とする。道内沿岸部には場所請負人が建立した神社がよくある。現在の社地になったのは明治四十一(1908)年。祭神は田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)で、この三柱は宗像三女神と呼ばれる航海の安全、交通安全を祈願する女神様だ。
社務所。ここに船絵馬が保存されている。特に連絡もせず参拝したのだがお願いして運良く見せてもらうことができた。本当はアポイントメントをとるのが望ましいだろう。
裏が取れていないのだが、この社務所は元は藤野家の迎賓館として明治二十八(1895)年に建築され、明治四十四(1911)年に当地に移築されたものらしい。建築当時はトタンではなく柾葺きの屋根だったとも。
本殿には大正四(1915)年奉納の扁額。「天壌無窮」とは天地とともに永遠に極まりなく続くさま。日本書紀神話に「天壌無窮の詔勅」というのがある。天孫降臨のとき天照大神が天孫である火瓊瓊杵尊に言った言葉で、天皇家が日本を支配すべきことと、その繁栄の永続性をことほぐ内容だ。
船絵馬は天保十一(1860)年から明治六(1873)年の間に奉納された。藤野家はいわゆる近江商人で、六代目藤野喜兵衛(1770~1828)が松前にわたり海運業をはじめ、余市、宗谷、斜里、国後に場所請負地を拡大し、蝦夷地有数の豪商となった。屋号は柏屋、商標を又十とした。絵馬の中にも「柏屋」や「又十」の文字が見える。
(参考:https://kotobank.jp/word/藤野喜兵衛-1105477)
版で捺したように似たような絵柄だ。船だけ先に描いておいて注文を受けてから「長者丸」などとは名前を入れたのだろう。
船絵馬を模した小絵馬が授与されていた。志望校合格や安産などの願いを書きつけた絵馬が冷たい風に吹かれてカラカラと音をたてていた。
◯網走神社・・・北海道網走市桂町2丁目1−1