絵馬ブログ

絵馬、絵馬堂についてのブログ。ほぼ月一回更新。/筆者:佐藤拓実/訪れた絵馬スポットの数:54(番外編:6)/ツイッター @EMA_blog_

笠間稲荷神社の絵馬②(東門、社務所)

笠間稲荷神社 社務所

 

 

 

 「日本三大稲荷」に数えられることも多い笠間稲荷神社の絵馬を見に行った。何度かに分けて奉納物を紹介していきたい。笠間稲荷神社への道のりや由緒などは記事の①を参照してほしい。

 ※訪れたのは2020年です。現在とは公開状況が変わっている可能性がありますのでご了承ください。

 

 

 

笠間稲荷神社の絵馬①はこちら ↓

emaema.hatenablog.jp

 

 

 

・東門

 

 

 

 笠間稲荷ウェブページによれば、現在の東門は1816(文化十三)年に再建されたものらしい。棟部の装飾や隅棟の鬼瓦の宝珠も立派だ。内外に掲げられているのはほとんどが絵馬ではなく扁額だ。額の彫刻が凝っているものが多くて見飽きない。

 

 

 東門の周囲には狐の石像や天水桶を模した奉納物が点在していた。訪れた時はちょうど菊まつりの時期だったのでお守りやお札を納める小屋や食べ物の屋台が出てにぎやかだった。

 東門はその名の通り境内の東西に面して建っている。ここからは時計回りで境内側(西側)から、北、東、南の壁面、そして建物の中の奉納物を見ていく。

 

 

 境内側の壁面は3点ほど大きな扁額が掛かっていたが屋台などがあったのでうまく撮影できなかった。「谷?區消防」「大正七年五月」。

 

 

 北側の壁面。重なり合うように扁額が掛かっている。

 

 

 わずかに下方に帯のような絵が残っている絵馬。

 

 

 扁額に稲穂と宝珠を持った稲荷神の彫刻が。「家内安全 商賣繁昌」「太田町 義明 刻」。

 

  

 かなり文字が薄れている扁額。「御寶講」「中山道」「大宮町」。

 

 

 この扁額は特に額の彫刻が立派だった。様々な姿態の狐が彫られている。「向島 渡邊 作」とある。腕のいい職人だったのだろう。他の寺社でもこの渡邊による彫刻や扁額を見ることが今後あるかもしれない。

 

 

 東側の壁面(境内の外に面した側)を見ていく。派手な色の御幣が立てられている。

 

 

 「豊穣」。稲荷神に捧げるにふさわしい文字と感じられる。「少教正源義明 敬書」。

 調べると「(少)教正」とは、1872年に教部省のもとに設置された教導職という国民教化官の名称で、神官や僧侶を任命して準官吏とし神道信仰を民衆に説いて教化するという狙いがあったが信教自由の思想と仏教界側の反対が強くなり、1877年に教部省の廃止に伴って消滅した職らしい。

 また「源義明」と検索すると「平田塾と地方国学の展開 武蔵国神職を中心に―」という論文に、榎本伊勢という武蔵国足立郡塚本村の神明宮(現・さいたま市西区塚本町2-180- 1の神明神社か)の神主の諱が源義明と載っている。

 扁額には奉納年が見当たらないが、上記の情報が正しければ1872(明治五)〜1877(明治十)年の間になるだろう。

 

参考:

コトバンク 教正

https://kotobank.jp/word/%E6%95%99%E6%AD%A3-478436

コトバンク 教導職

https://kotobank.jp/word/%E6%95%99%E5%B0%8E%E8%81%B7-478774

・中川和明「平田塾と地方国学の展開 武蔵国神職を中心に―」『書物・出版と社会変容 14 』「書物・出版と社会変容」研究会、2013年、84頁

https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/25568/?lang=0&mode=0&opkey=R167487733125129&idx=2&chk_schema=10000&cate_schema=10000&codeno=&fc_val=volnum%3D14!%23%40%23!ZZZZZZZZ

 

 

 龍の装飾が立派な扁額。「豊?楽」「七十一翁水雲?書」「慶應元」「乙丑 繩?兮」「下州鹿沼?宿」「月条?構」

 

 

 「惟徳是依」と書かれている。『春秋左氏伝』(僖公五年)に「鬼神非人実親、惟徳是依。」という一説があるらしい。そこからの引用か。

 
 ここからは南の壁面の扁額を見ていく。

 

 

 「花瓶?奉納 東京齊?榮講?」

 

 

「笠間稲荷 願主 佐藤源 金子吉 大久」左下に「大正十年六月高橋藤?書」。

 

 

「大正十二年 三月吉日」「発起人 飯野市太郎 世話人 猪山市太郎 飯野釜吉 田島亀吉」左下に「太田櫛〇 座間眞?正堂」

 

 

 鳥居が描かれた絵馬?金属製のようだ。

 

 

 牡丹をあしらった扁額。「横濱 神宮講」「大正十四年四月吉日」「先達 石田清童 講元 雨宮勇次郎」。

 

 

 わずかに「太々神樂〇〇」と読める。

 

 

 鳳凰のような額。「奉納 笠間稲荷神社」「鹿沼講中」。左上に「辛未貮月」。

 

 

 さほど大きくない扁額にも狐の彫刻が。

 

 

 東門の内部にもおびただしい数の名前が記された扁額や芳名板がある。

 

 

 欄間の彫刻は大国主命因幡の白兎。

 

 

 反対の面は天孫降臨の場面の彫刻。

 

 

 「湊」と書かれた小さな纏の奉納額。

 

 

 大きな稲穂の紋の彫刻も。

 

  

シャコガイ

 

 

 社宝の大毛綱も飾られていた。

 

 

 
 
社務所

  

 

 境内西側の大きな社務所の外壁にも大小の絵馬がずらっと掲げられていた。

 

 

 鎧で身を固めた豪傑の絵馬。右手に白くて細長い箱をもち左手を刀にかけている。右足は力強く何かを踏んでいるようだ。細長い箱が皇大神宮の札だとすれば、近松門左衛門作の浄瑠璃国性爺合戦」の主人公である和藤内の虎退治の場面だろうか。いまは判別できないが右足では虎を踏みつけているのかもしれない。 

 

 

 「第貮回 大〇〇〇?」「昭和二年丁卯五月?〇〇」

 

 

 馬上で背後を振り返る人の絵馬。

 

 

 何が描かれているかほとんど判別できない奉納額。

 

 

 「東管大宮工場」「第壹木工部」。写真の上部には「大正二年式壹貮等新造車」。現在の埼玉県さいたま市大宮区に置かれていた日本鉄道の大宮工場に関係する奉納額だろう。

 

 

 人物が描かれた絵馬。右側の人物は冠を被り、長いあご髭を生やし鎧を着ているように見える。

 

 

ほとんど絵柄が薄れてしまった絵馬。頭巾や帯らしき形が点在している。

 

 
 木彫の額。

 

 

 3人の武将が描かれた絵馬。中央の軍配をもった人物の頭の黒い部分は髪のように見え、左下には冠を被り鎧を着た人物が描かれている。神功皇后と武内宿祢か。

 

 

 源頼政と家臣の猪早太による鵺退治の絵馬。「久慈郡太田村 大世話人 川合藤介」「世話人 茨城郡面?潟村 笹島藤吉 那河郡湊村 関根佐吉 那河郡中臺?村 石川定吉

 

 

 三国志の桃園結義の絵馬か。専門の絵師によるものだろう。

 

 

 龍の装飾が立派な扁額。右側にぼんやりと「靈」の字が浮かび上がっている。

 

 

 
 菊菱の文様が派手な扁額。四隅に「稲村」、上部に「稲荷神社」、下部に「大日本國益舎」とある。「第二回内國勧業博覧會褒状寫」「東京府東京市本所區番場町 稲村清次郎」「莫?林?〇銕?製〇〇軽便ニシテ勞力ヲ省ク頗ル?嘉スヘシ?」「籾早摺器械」「審査官 諏訪鹿?二 岡田真一郎 正七位池田謙蔵」「審査部長従四位勲三等田中芳男」「審査官長従三位勲三等九鬼隆一」「明治廿三年七月十一?日總裁大勲位貞愛親王」。「有斐亀井直 書」とあるのは、幕末から明治三十年代に笠間で活躍した書家の亀井有斐のようだ。

 

 

 

 

 笠間稲荷神社へつづく・・・。

 

 

 

笠間稲荷神社・・・茨城県笠間市笠間1番地

 

住吉大社の絵馬殿

住吉大社 本殿)

 

 全国に約2300社あるといわれる住吉神社の総本社で、延喜式名神大社摂津国一之宮である住吉大社に行ってきた。初詣には毎年約230万人の参詣者があるという。大阪近辺では最も有名で由緒ある神社の一つだろう。鎮座は神功皇后摂政十一(西暦211)年。

 

 

 

住吉大社の概要

 

 祭神は四柱。伊邪那岐命 (いざなぎのみこと) が伊邪那美命 (いざなみのみこと) を黄泉の国から連れ戻せずケガレを受けた。そのケガレを清めるために海に入って禊祓いしたとき生まれた、底筒男命 (そこつつのおのみこと) 、中筒男命 (なかつつのおのみこと) 、表筒男命 (うわつつのおのみこと) 、以上の三柱を住吉大神という。また、第十四代仲哀天皇の后である神功皇后 (じんぐうこうごう) が住吉大神の加護を得て新羅遠征(三韓遠征)から帰還し、凱旋の途中で神託によって現在の住吉の地に鎮斎されたことから、住吉大社には神功皇后も併せ祀られ、四柱を住吉四社大明神と称している。

 代表的なご神徳としては、伊邪那岐命の禊祓いから「祓の神」とされ、また住吉大神が海中から出現したことから、仁徳天皇による住吉津の開港以来、遣隋使や遣唐使に代表される「航海の守護神」とされ、さらに社地が白砂青松の風光明媚なところにあり万葉集古今和歌集などに数多く歌が詠まれているところから「和歌・文学の神」、そのほか住吉大神が草を敷かずに苗代をつくる方法を教えたという伝説から「農耕の神」や「産業の神」とされており、現在でも崇敬をあつめている。ちなみに船絵馬にもしばしば住吉大社の風景が描きこまれている。

 住吉大社で特徴的なのは建築様式で、住吉大神神功皇后を祀る四つの本殿、四本宮は、第一、第二、第三本宮が縦直列、第三、第四本宮が横並列という独特の配列になっており、住吉大社のウェブサイトでは「あたかも大海原をゆく船団」と喩えられている。国宝に指定されている四本宮すべてが「住吉造」と称される神社建築史上最古といわれる様式で建てられており、住吉造の平面構造は大嘗祭で造営される「大嘗宮」という神殿と類似した構造らしい。現存の本殿は文化七(1810)年に造営されたものだ。伊勢神宮で有名な式年遷宮住吉大社でも行われており、記録に残っているなかでは天平勝宝元(749)年から20年ごとに社殿が作り替えられてきた。

 

住吉大社が描かれた船絵馬・象潟戸隠神社

 

(参考)住吉大社 ウェブサイト https://www.sumiyoshitaisha.net/

 

 

 

住吉大社境内の様子

 

 南海電鉄住吉大社駅で下車。駅前からすでに灯籠が立ち並んでいる。

 

 

 境内に入って左手には遣隋使の碑が。右手には俵屋宗達の屏風絵の石碑。

 

 

 さすが狛犬も大きくて立派だ。

 



 灯籠の数がとにかくすごい。境内には約600基あるという。

 

 

 反橋を渡る。きつい傾斜がついているので登り降りしやすいように段が設けられている。渡るだけでお祓いになるらしい。渡る手前の左右に絵馬殿がある(後述)。

 

 

 反橋を渡ると左手に手水舎がある。ウサギがモチーフになっていてかわいい。住吉大社の鎮座が辛卯年卯月卯日(卯=兎)であることから、兎が神使とされているそうだ。

 

 

 第四本宮前には住吉神兎(すみよしうさぎ、別名なでうさぎ)がある。天神社によくある「なで牛」のウサギバージョンだ。兎の体を撫でて無病息災を祈願する。

 

 

右側:第四本宮、息長足姫命(神功皇后)をお祀りする。左側:第三本宮、表筒男命をお祀りする。

 

 

 

第二本宮、中筒男命をお祀りする。

 

 

 第一本宮、底筒男命をお祀りする。

 

 

 楠珺社(なんくんしゃ)。奇数月は左手を、偶数月には右手を挙げた招福猫を毎月集め、48体そろうと満願成就の証として納め、さらに大きな猫と交換する。このほかにも多くの摂社、末社が境内にある。

 

 

 

住吉大社の北絵馬殿

 

 

 反橋の左右に絵馬殿があり、それぞれ北絵馬殿、南絵馬殿と呼ばれている。文化庁データベースでは、昭和四(1929)年の建築で木造平屋建、建築面積46㎡、桁行三間梁間一間、東西棟の切妻造本瓦葺、吹放ち形式、太い大面取角柱や切石敷風にしたモルタル土間などが復古的な意匠でまとめられている、と説明されている。

 まず北絵馬殿から見ていく。

 

(参考)

文化庁 国指定文化財等データベース 登録有形文化財(建造物) 住吉大社南絵馬殿 https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00012404

文化庁 国指定文化財等データベース 登録有形文化財(建造物) 住吉大社北絵馬殿 https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00012405

 

 

 立派な瓦が載っている。

 

 

 参道に面して掛かっている奉納額から見ていく。

 

 

 奉納額の裏面が見える。

 

 

 「かっぽれ生誕二百年記念」の奉納額。「奉納」「紀文大尽宝入船」「平成十一年十一月十一日」「限りある命ゆえ 命之限り踊り 人生をさ最高の 芸術品に かっぽれ家元四世?桜川千代助?」

 

 
「奉納」「住吉大社御宝前」「宿坊大峰山竹林院」「平成六年四月吉日」「大坂住吉御崎講 開講四百年記念」「市戎大國社初辰楠珺社 紫燈大護摩供奉仕 貮拾五周年記念」。

 

 

 北絵馬殿の内側の絵馬を見ていく。

 

 

 「奉納」「大正十二年六月吉日」「岩脇久五郎氏」「大坂 南久太三 西岡製」「職長引退紀念」

 

 

 神輿と灯篭が描かれた奉納額。「奉納」「住吉大社神輿奉仕会」「奉納十周年記念」「昭和六十三年七月吉日」

 「すみ乃江の 岸の松原 遠つ神 わが大君の いでましところ」

 

 

狂言などの奉納記念の額か。「奉納番組」「昭和三十年十月吉日 大阪 同聲会」

 

 

巻物や木刀が付いた奉納額。「元祖磯又右衛門柳関齊源正足 天神眞揚流柔派 元日本体育會大阪支會名誉教員 田中半兵衛柳連齊源正之(花押?)」「明治四拾三年四月」「作人 難波作太郎 彫刻師 増田竹次郎」「春香髙橋恒書」 

 

 

雅楽の「還城楽」の絵馬か。「天保七歳丙申霜月」右上の「保大」は絵師の名か。

 

 

 「奉獻」「海軍記念日 建之」「昭和十年五月廿七日」「報國丸マスト略歴」。日露戦争の旅順口閉塞作戦で使用された船についての奉納額。

 

 

 船にのる武将?のような絵馬。

 

 

 「櫻川ぴん助風流かっぽれ道場創立25周年記念」「紀文大尽宝入船」「平成五年七月吉日」「沖のくらいのに 白帆が見ゆる あれは紀の國 みかん舟」

 

 

 

 背景には住吉大社の境内が描かれている。神馬奉納の場面か?

 


 「昭和辛未六歳 浪華住畫師 三世坂田萬助 納 號 耕雪」能の岩船を描いた絵馬か。坂田耕雪は明治〜昭和期の挿絵画家。

 参考:コトバンク 坂田耕雪https://kotobank.jp/word/%E5%9D%82%E7%94%B0%20%E8%80%95%E9%9B%AA-1645629


 
 
 

住吉大社の南絵馬殿

 

 

  参道に面して掛かっている奉納額から見ていく。

 

 

 「住吉祭 大坂住吉神輿會」「第四十九回式年遷宮 御鎮座千八百年記念大祭」「平成二十三年五月吉日」「聖町 安立連合神輿会」「東粉浜神輿会」

 

 

 「神輿船奉納記念」「平成元年12月23日」「(株)浜野造船所建造」

 

 

 

 内部の絵馬を見ていく。

  

 

 「鰐」「山本憲史 画」

 

 

 「第百回記念奉納素謡會」「松葉會」「昭和十年四月十四日 於住吉神社楽殿

 

 

 「住吉大社御結鎮祭大的奉射名」「大阪府弓道連盟」「昭和三十七年一月十三日」

 

 

 武将が描かれた大きな絵馬。右側に烏帽子を被った馬上武者、左下に長刀を持った武者が描かれている。「願主御額看板師 大阪三休橋筋ばくらう町 大阪三休橋筋安堂寺町」「備前屋善右衛門 備前屋新兵衛」「弘化五戊申歳正月吉日」「發起 備前屋善兵衛 執次 山上宮門太夫

 

 

 金属製の絵馬。

 

 

 「奉祝御鎮座千八百年記念大祭」「住吉大社御結鎮祭大的式 奉射名」「大阪府弓道連盟」「平成二十三年一月十三日」

 

 

 「昭和六十二年七月二十六日」「元乗組員一同」「軍艦加古」「排水量八、七〇〇トン 輝く武勲を残したるも ソロモン海々戦において ついに海底に深く眠る」「時 昭和一七、八、一〇、〇七一五」。背面に「軍艦加古会」。

 

 

 「日本廻国一之宮巡拝 満願成就」「納札巴連」「創立二百周年記念」

 

 

 「明治三十年四月上浣」「江守氏」兎の絵馬。

 

 
「奉納 住吉詣」「平成元年八月二六日 長野滔声会竹元直次他三八名」

 

 

 

・まとめ

 日本有数の由緒正しい神社の絵馬殿としては掲げてある絵馬の数こそ少ないかもしれないが、住吉大社らしい図柄も見られ、新しい絵馬と古い絵馬が混在している様からは現在まで続く信仰を感じることができた。

 
 

 

住吉大社・・・大阪府大阪市住吉区住吉2丁目 9-89