北野天満宮は言わずと知れた全国の天満宮や天神社の総本社で、太宰府天満宮と並び天神信仰の中心地だ。行った日はちょうど雨が降っていた。
実は北野天満宮は二度目の参拝で、数年前に私が絵馬堂に興味をもったきっかけがここの絵馬所でもある。なんだか少し感慨深い再訪だった。
雨に煙る風景もなかなか。社務所に並べてあった黄色い番傘には梅の紋が入っていて洒落ている。
北野天満宮では絵馬堂などと呼ばず絵馬所と呼んでいる。元禄十二(1699)年に建てられたもので、京都市指定有形文化財である。現存する中では最も古い絵馬堂のひとつであり規模も最大級だろう。あいにくの天気なので雨宿りする人がちらほらいた。ちなみに北野天満宮参拝の栞には「絵馬所(休憩所)」と書いてある。軒下に歌仙図がきれいに並んでいる。
この絵馬は頭上の真上にある。圧倒される。
宝暦丁丑は宝暦七(1757)年。
一番上の絵馬はよくみると十二支の宴会を描いている。
元禄四(1691)年の作。状態がよくて驚く。野々村通正信武は俵屋宗達の後裔にあたる絵師らしい。描かれているのは平家物語にもでてくる屋島の合戦の「義経の弓流し」の場面だろう。
まさかりやら大きな槌やらが見える。武者は弁慶、背負うは「七つ道具」だろう。
碇を持ち上げている。平知盛か。
下の絵馬は弓も百発百中だったといわれる天神様を描いたのだろう。牛など天神様にまつわる図柄の絵馬以外の絵馬もたくさんある。
山伏の姿で大江山の酒呑童子を退治しに行く源頼光と四天王か。実に大きい。
すっかり色が落ちてしまっている。鬼と首引きをしているのは朝比奈義秀かもしれない。
戸板を持っている武将は鴻門の会で劉邦を救った樊噲(はんかい)だろう。額いっぱいに描かれている。
立派な鏝絵。黄石公と張良の逸話か。
寛延三(1750)年の絵馬。
算額も。
碁盤を持っているので佐藤忠信だろう。
「演芸者 中村鴈次郎」とあるのは初代中村鴈治郎(1860~1935)か?歌舞伎の演目を描いたのかもしれない。馬で湖を渡ると言えば、明智左馬之助が思い出される。
太平記に登場する阿新丸(くまわかまる)と山伏を描いた絵馬らしい。延享四年は1747年。
ちょうど宝物展が開催されていた。アニメ「刀剣乱舞ー花丸ー」とコラボした展示で、重文の「鬼切丸 別名 髭切」が見どころらしい。館内はやはり刀剣が多かった。大絵馬も四点あった。携帯電話でのみ撮影可。今回は展示されていなかったが、北野天満宮の所蔵品では長谷川等伯筆の「昌俊弁慶相騎図絵馬」が重要文化財に指定されている。
豊臣秀頼が慶長十五(1610)年に奉納した絵馬。絵師は曽我直庵。
虎の絵馬。慶長?という字が何とか読める。少し傷んでいるのは以前は絵馬堂にかかっていたからだと聞いた。