東山五条の交差点から、大谷本廟へ至る道と平行に走る坂を上っていく。この道をまっすぐ行けば清水寺まで続いているはず。いくつかの墓石屋を過ぎ、墓地へと入っていく。途中にはかの肉弾三勇士の墓もある。
坂を登り切らないうちに道の左側に妙見宮の鳥居を見つけた。奥へ進むとまた鳥居が。
1862年(文久2)出版の「花楽名勝図会」にこの妙見堂のことがでている。(「花洛名勝図会 東山之部 巻之七」http://www.nichibun.ac.jp/meisyozue/karaku/page7/km_04_07_015f.html)
(参考:http://flattravel.blog.fc2.com/blog-entry-95.html/http://flattravel.blog.fc2.com/blog-entry-96.html)
花楽名勝図会に載っている「霊亀石」はこれか?
清水寺のように舞台があり、そこが絵馬堂になっている。
文人の嗜みである琴棋書画を唐子によって表わしている。天保十三(1842)年の作品。落款は五嶺?。前川五嶺(1805~1874)かもしれない。
歌舞伎か何かの場面を描いたのか分からない。落款は「中善?楽?」と読めるが詳細不明。
天保五(1834)年の絵馬。落款は椙蓑?と読めるが詳細不明。
暗くて何も見えなかったのが、カメラを通してよく見ると、龍が描かれていた。金砂子も残っている。落款は見えないが、願主の名は右下にある。なかなかうまいのでそれなりに名の知れた絵師の作ではないかと勝手に思っている。
安政三年は西暦で言うと1856年。
お題目。妙見堂はそもそも日蓮宗だ。金糸でできているようだ。豪華。
腹に蛇の目が描いてあるので加藤清正だろう。
落款は「幽泉齋花?蹞?」と読める。
右上にある「文政甲申」は文政七(1824)年。紀伊田辺藩に仕えた真砂幽泉(明和七~天保六/1770~1835)かもしれない。
参考(https://blog.goo.ne.jp/ma2bara/e/279d2831b1879dcd5372359acb44da85)
中国風の人物。顔が赤い。青龍刀は見当たらないが、鋭い目つきと恰幅の良さは文人より武人のそれらしく感じられる。
明治天皇の和歌が描かれた額。
◯鳥辺山妙見宮智積院・・・京都府京都市東山区五条橋東6丁目522
2018.11.27.加筆