絵馬ブログ

絵馬、絵馬堂についてのブログ。ほぼ月一回更新。/筆者:佐藤拓実/訪れた絵馬スポットの数:54(番外編:6)/ツイッター @EMA_blog_

古四王神社(象潟)の絵馬

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(古四王神社)

 

 

  

・古四王神社の概要

 

 古四王神社の本社は秋田市寺内字児桜に鎮座し主に日本海沿いの秋田、山形や新潟に同名の神社が分布している。創建年代不詳だが社伝では崇神天皇記紀神話の皇室系譜では第10代の天皇、大和政権を確立し国内統治を進めた)の代に、国土を平定するため4地域に派遣された四道(しどう)将軍のうちのひとり大彦命(おおひこのみこと)が北辺鎮護の神として武甕槌命(たけみかづちのみこと)を祀ったことに始まるという。のち斉明天皇時代(在位は西暦655~661年)の将軍である阿倍比羅夫(あべのひらふ)が大彦命を合祀し古四王と称して崇めた。古代の大和政権の政治・軍事拠点である秋田城の鎮守であり、のち古四王大権現と称して信仰を集めたという。

 象潟に分霊されたのは境内の看板によれば弘長三(1263)年。祭神は武甕槌命大彦命のほか、経主神(経津主神、ふつぬしのかみ)、㷬(火に莫)速日神(樋速日神、ひはやひのかみ)だそうだ。

 境内に建つ看板では船絵馬について説明されており、ここ古四王神社はこの地域で最も多い37点が奉納されているとのことだ。

 

参考

コトバンク 古四王神社 

https://kotobank.jp/word/%E5%8F%A4%E5%9B%9B%E7%8E%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE-501039

コトバンク 崇神天皇

https://kotobank.jp/word/%E5%B4%87%E7%A5%9E%E5%A4%A9%E7%9A%87-83807

コトバンク 四道将軍

https://kotobank.jp/word/%E5%9B%9B%E9%81%93%E5%B0%86%E8%BB%8D-74408

コトバンク 斉明天皇

https://kotobank.jp/word/%E6%96%89%E6%98%8E%E5%A4%A9%E7%9A%87-68269

コトバンク 秋田城

https://kotobank.jp/word/%E7%A7%8B%E7%94%B0%E5%9F%8E-24563 

國學院大學 古典文化学事業 樋速日神

http://kojiki.kokugakuin.ac.jp/shinmei/hihayahinokami/

 

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 石の鳥居は文久二年の奉納。

 

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 参道は北東から南西にむかって伸びている。社殿は北東に面している。

 

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 扁額は亀の甲羅。

 

 

 

 

・古四王神社の絵馬と奉納物

 

 古四王神社の拝殿へ足を踏み入れる。

 

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 全体をぐるっと見回す。正面(南西)には大きな「古四王」の額。左右には白い千羽鶴が二組。すぐ右には大きく立派な白馬の絵馬が。

 

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 向かって右側(北西にあたる)の壁面には大きな絵馬と由緒書き、何枚かの写真と船絵馬が4枚ほどある。

 

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 拝殿内で正面を向いた時の背後、出入り口の側(北東にあたる)の壁には二段になって船絵馬が掛かっている。上段には9枚、下段には11枚。そのうち上段の中央と下段の左から5枚目には船が二艘描かれている。

 

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 拝殿の正面に対して左側(南東にあたる)の壁面。7枚の絵馬があり左から3番目を除きすべて2艘ずつ船が描かれている。 

 以下ではここまで見てきたように時計回りに奉納物を見ていく。

 

 

 

・正面(南西)の奉納物

 

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 「古四王」の大きな扁額。案内の看板にあった藤原(六郷)政鑑(ろくごうまさあきら、嘉永元~明治四十・1848~1907、出羽本荘藩十一代)による社号額とはこれのことだろうか。

 

 

 

・右側(北西)の壁面の奉納物

 

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 立派な白馬の絵馬。昭和八(1933)年の奉納。これとほぼ同じものを隣の由利本荘市本荘八幡神社で見たことがある。絵師は野村雪江か。

 

参考:野村雪江 東文研アーカイブデータベースhttps://www.tobunken.go.jp/materials/banduke_name/802306.html

 

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 いくつか写真が飾ってある。

 

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 「象潟矯風會義勇消防隊」への感謝状。下にあるのはその消防隊の集合写真だろうか。

 

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 横綱梅ケ谷(2代目)の土俵入りの写真。

 

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 由緒書。

 

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 全く同じ柄の絵馬が複数奉納されているようだ。

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 羽織袴姿の男たちの集合写真。建物の前に旗が交差して立ててあり「矯風會」と書いてあるように見える。前記の感謝状の贈り先の団体か。建物の入り口にも看板がある。

 

 

 
・出入口側(北東)の壁面の奉納物

 

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 2段になって上段には9枚、下段には11枚、合計20枚の船絵馬が奉納されている。

 まず上段を左から順に見ていく。

 

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 「海上安全 明治戌七年七月吉日」とあり奉納者の名がいくつか書かれている。船の上の旗には「觀音丸」とある。

 

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「大正貮年九月吉日」奉納の絵馬。旗には「酒運丸」と書かれているようにみえる。

 

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嘉永二己酉歳十二月三日」「冠石 武助」。

 

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「明治十年丑七月」「土門?氏」「八光丸」。

 

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「永明丸」と書かれている。奉納者名はなし。全体に黄色っぽく色あせておりシワが寄っている。木に絵の具で描いたものではなさそうだ。

 

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 二艘の北前船が描かれた絵馬。右上に「海上安全 奉納」左下に「明治十一年寅七月日 荒谷屋町 嶋田正吉」、船の名は左右どちらも同じく「寶幸丸」に見える。

 

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 「明治十五年八月十八日 舟中安全 爲」「由利郡塩越村奥山勘三郎」「伊法丸」。

 

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 左隣の絵馬と、奉納者と奉納日が同じだ。「明治十五年八月十八日 舟中安穏 爲」「由利郡塩越村奥山勘三郎」「福徳丸」。

 

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 「明治十丁丑年七月吉日」「願主 佐藤直蔵」「春日丸」。

 

 

 以下では出入口側(北東)の壁面の船絵馬を下段の左から順に見ていく。



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 黒ずんでいる。これも「永明丸」の船絵馬。

 

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 これと同じ絵馬が右側(北西)の壁面など他にも数枚奉納されている。

 

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 紙を糊で貼っているようだ。

 

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 右側(北西)の壁面と同じ図柄の船絵馬。

 

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年紀が見当たらない。右上にも二艘の船の旗にも「光善丸」とある。左下には「森権九郎」と奉納者の名前が。

 

 

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 ここにも同じ絵馬が二枚。

 

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 名前などは剥落してしまったようだ。

 

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 「天保十二年丑八月」「羽州(象)潟冠石土門治兵衛」「住吉丸」。

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 「明治十六年癸未六月吉辰 〇門富太郎」「玉光丸」。

 
 

 

・左側(南東)の壁面の奉納物

 

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 拝殿の正面に対して左側、南東の壁面にある7枚の絵馬を左から順に見ていく。

 

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 「御寶前」「權九郎」。手前の船の幟は「光善丸」。表面に紙を糊ではったような皺ができている。

 

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 「奉納 御宝前 明治十三年辰七月」「森権九郎」。手前の船も奥の船も幟は「光善丸」と書いてあるように見える。

 

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 「奉納 新町 佐藤鉄造」。幟には「海寶丸」、「明治十七年旧七月十五日」とある。

 

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「奉納」「御宝前」「明治十五歳 午ノ七月」「船頭 森権九郎」これもやはり手前の船も奥の船も幟は「光善丸」と書いてあるようだ。

 

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 「奉納 御宝前 明治十三年七月」「由利郡塩越村 森権九郎」。船の幟は「光善丸」。

 

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 「權九郎」。手前の船の幟は「光善丸」。これも紙を糊ではったような皺が表面にできている。

 

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 「奉献」「由利郡塩越村荒谷 佐々木福次良 明治廿七年 旧六月十四日」。

 

 

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「奉納 明治十三年辰七月 御宝前」「森権九郎」。

 

 

 

・まとめ

 

 二艘の船が描かれた絵馬が多く、非常に見ごたえのある奉納物群だった。

 境内にある看板に書かれている数と実際に奉納されている船絵馬の数が合わないが、神主さんによればすぐ近くの象潟戸隠神社も合わせて管理しており、以前は古四王神社にあった船絵馬を先代の神主さんが戸隠神社に移動させたこともあったらしい。例えば過去の論文を確認してみると、高橋正「秋田県内絵馬調査報告」(『秋田県立博物館研究報告第26号』、2001年、43~56頁)では象潟神社の絵馬と合わせて、217番から249番まで33枚の古四王神社の絵馬が報告されているが、そのうち218番の船絵馬(55頁の図版9)は、私が訪れた時点(2019年)では戸隠神社にあった。

 象潟戸隠神社と同様、ここ象潟の盛んな海運が偲ばれる神社だった。

 

 

〇古四王神社・・・秋田県にかほ市象潟町五丁目塩越14

 

 

 

戸隠神社(象潟)の船絵馬

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戸隠神社の様子)

 

・象潟(きさかた)と北前船

 

 2017(平成二十九)年4月、「地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化や伝統を語るストーリー」を文化庁が認定する制度である「日本遺産」に「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間 ~北前船寄港地・船主集落~」が登録された。

 大坂と蝦夷地を結び各地の港で積荷を売り買いした北前船は江戸時代後期から明治時代までが最盛期で、航海技術が未発達だった当時、船主(オーナー)や船頭(乗組員)は神仏にすがり各地の寺社にしばしば船絵馬などを奉納して航海の安全や豊漁を祈願したため北前船の寄港地があった日本海や瀬戸内海に面する38市町の日本遺産認定地の多くに今も船絵馬が残されている。

 その北前船に関する「日本遺産」には秋田県内では5市の文化財が含まれた。中でも秋田県南西部の山形県との県境、鳥海山麓に位置する にかほ市の南部にあたる象潟地区にある塩越湊は大澗、小澗、鰐渕の総称で、最大の大澗沖には千石船が12艘も碇泊でき船と陸を結ぶ艀船が行き交っていた。

 そのような周囲の物流の拠点となっていた港を有する象潟にはやはり船絵馬が多く、秋田県内に残るうち半数にあたる100点以上が現存する。特に象潟地区の下荒屋地域に建つ戸隠神社には安永九(1780)年に奉納された県内最古の船絵馬があり、同地域の古四王神社には県内で最も多い37点の船絵馬が奉納されている。今回はその戸隠神社のレポートだ。なお戸隠神社・古四王神社は一般公開されておらず、管理者様(宮司様)に事前にご連絡をとりご都合が合ったので運よく見せていただくことができた(古四王神社のレポートは別の記事として投稿予定)。

 

・参考:北前船 KITAMAE 公式サイト【日本遺産・観光案内】秋田県にかほ市

https://www.kitamae-bune.com/travel/%E7%A7%8B%E7%94%B0%E7%9C%8C-%E3%81%AB%E3%81%8B%E3%81%BB%E5%B8%82/

・参考:秋田県あきた未来創造部 地域づくり推進課 秋田県のがんばる農村漁村集落応援サイト あきた元気ムラ! 航海の安全を祈願した船絵馬

https://common3.pref.akita.lg.jp/genkimura/sp/village/detail.html?cid=24&vid=1&id=2363

 

 

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戸隠神社の「日本遺産」認定証) 

 

 

 

戸隠神社の由緒

 

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 社殿の中に由緒書が掲げられてあった。それによれば創建は西暦1467(応仁元)年。いわゆる応仁の乱の頃、京都を逃れ出羽国に下向した竹内勘七なる北面の武士が、現・長野県長野市戸隠神社から御分霊を勧請し堂宇を建立したことにはじまる。祭神はやはり戸隠神社とも共通する天手力男大神(天手力男命、あめのたじからおのみこと)、天恩兼大神(思兼神、おもいかねのかみ)、天表春大神(天表春命、あまのうわばるのみこと)、九頭竜大神(くずりゅうのおおかみ)。1764(明和)年、六郷政𦡫(にくづきに義)の病気平癒祈願成就のため堂宇を寄進されたことをきっかけとして代々の祈願所となったとされているが、その名は当時この地を支配していた出羽本荘藩主には見当たらない。年代が合っていれば藩主は六郷政林(ろくごうまさしげ、元文二~寛政九、1737~1797)か。

 また隣接する矢島藩主の生駒家も当社を崇敬した。

 1804(文化元)年6月4日の象潟地震で堂宇は潰れ、現在の社殿は1860(万延元)年に六郷政鑑(ろくごうまさあきら、嘉永元~明治四十・1848~1907、出羽本荘藩十一代)による造営だという。

 

・参考:コトバンク 六郷政林

https://kotobank.jp/word/%E5%85%AD%E9%83%B7%E6%94%BF%E6%9E%97-1121213

・参考:コトバンク 六郷政鑑

https://kotobank.jp/word/%E5%85%AD%E9%83%B7%E6%94%BF%E9%91%91-1121210

 

 

 

 ・左側の額の絵馬

  

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 戸隠神社の中には絵馬が入れられた大きな額がふたつ、それより更に大きい絵馬が一面あった。向かって左の額には9面の船絵馬と船絵馬以外の絵馬が2面、髷額(後述)が1面、右の額には船絵馬が6面、船絵馬以外の絵馬が1面納められている。

 まずは左の額を左上から順に見ていく。

 

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 左上に「海上安全」「明治十八年八月吉日」「海宝丸」「奉納御寶前」「羽後国由利郡塩越村 佐藤弥太郎」。明治十八は西暦1885年。

 

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 「秋田藩中 尾形清二」「秋田家中 土岐喜代治」と書かれた板に髷が括り付けられている。時化に遭った北前船の乗組員は積み荷を捨て帆を下ろし、網を垂らし帆柱を切り倒して、船足を遅くしようと努めるがそれでも効果がない時に髷の髻(もとどり、髪を束ねた部分)を切って神仏に祈る。そして無事生還できた際に遭難をまぬがれたお礼に奉納したものがこの「髷額(まげがく)」だ。

 青森県西津軽郡深浦町円覚寺には髷額が28点奉納されている。象潟地区でも、にかほ市象潟郷土資料館では市内の金刀比羅神社に慶応四年に奉納された髷額を見ることができる。

 

・参考:文化遺産オンライン 円覚寺奉納海上信仰資料

https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/207970

 

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 「奉納」「?吉丸」「安政巳歳七月旦」「市良左?門」安政巳年は安政四年にあたり西暦では1857年。

 

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 「奉納」「御寶前」「宜徳丸」「須田弥?八?郎」

 

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 左手で柱を抱きかかえた鬼が右手で鎧を着た武士の頭を掴んでいる。渡辺綱羅生門の鬼だろう。愛嬌のある絵柄だ。

 上部に「奉納」右に「寅七月吉〇〇」左側に「六〇」「須田氏」とある。

 
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 丈夫に右から「?御寶」、船の上に立っている旗に「大日?〇」、左端に「年」と書かれている。剥落が激しい、古そうな船絵馬。乗っている人物の表情はなんだか楽しそうだ。

 

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 「奉納」「願主 島田政五?郎」「明治廿二年旧六月吉日」旗には「照幸丸」と屋号らしき「」(カネ)に「正」と書かれている。明治二十二年は西暦1889年。

 

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 「奉納」「明治丙九子年」「觀音丸」「兵藤?与〇エ?門」明治九は西暦1876年。

 

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 額縁にの右辺に「昭和参年八月吉日」、上部に右から「奉 海上安全 納」、左辺に「池田氏」、旗には「陽福丸」とある。

 

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 右上に「家内安全」とある絵馬。

 

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 旗に「永明丸」とある。奉納年は不明だが江戸末期~明治だろう。

 

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 「明治六癸酉年六月日」「佐藤重〇郎」、船の上の旗には「寛應丸」とある。明治六は西暦1873年

 

 

 

・右側の額の絵馬

 

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 ここから右側の額の絵馬を見ていく。

 

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 「奉納」「安政三丙辰年二月吉祥日」「佐藤吉左衛門舩」「沖船頭市左衛門」「御寶前 海上安全」とある。安政三は1856年。

 

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 「奉(納)」「(寛)政十二庚申歳五月吉日」「江戸雑賀屋舩」「船頭權之助」旗には「永久丸」と屋号の□(カク)に「サ」が描かれている。寛政十二は西暦1800年

 

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 左の絵馬には「奉納」「御寶前」「天?保三壬申年 土?浦?日南?所〇〇〇〇門」船上の旗には「六根丸」とある。天保三は1832年

 右の絵馬には「奉納 油屋氏」船上の旗には「治?宝?丸」とある。

 

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 「奉納御寶前」「嘉永四辛亥年七月 岩見屋六良兵衛」とある。嘉永四は1851年。神功皇后三韓征伐の一場面、新羅の王が降伏する様子を描いた絵馬か。背景には山のようにモコモコした波?と幟が見える。伝説では神功皇后新羅を攻めた時に大小の魚が寄り集まり船の進行を助けたというから、海上安全祈願の題材ともいえる。

 

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 上部に「奉納御寶前」、奉納者は「油屋治右エ門」。船上の旗には「治寶丸」とある。「天保十二辛丑年七月吉日良辰」天保十二は1841年。右上に高灯篭、左上に鳥居や反橋(太鼓橋)、四本宮があり住吉大社の情景を描いていることがわかる。

 

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 冒頭で触れた、安永九(1780)年に奉納された県内最古の船絵馬。背景に高灯篭、左上に鳥居や反橋(太鼓橋)、四本宮があり住吉大社の情景を描いている。船上の旗に「永久丸」とある。「庚亥歳 四月吉祥日 石橋屋權三郎」と書かれているように見える。裏側には「安永九年四月吉日 石橋屋權三郎」と記されているらしいが、安永九年は庚子年だ。

 秋田県立博物館の企画展「北前船と秋田」ではこの絵馬の複製が展示されていた。

 

・参考:秋田県あきた未来創造部 地域づくり推進課 秋田県のがんばる農村漁村集落応援サイト あきた元気ムラ! 航海の安全を祈願した船絵馬

https://common3.pref.akita.lg.jp/genkimura/sp/village/detail.html?cid=24&vid=1&id=2363

 

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秋田県立博物館「日本遺産認定記念企画展 北前船と秋田」令和元年10月5日(土)~令和元年11月17日(日)会場の様子)

 

 

 

・女武者の大絵馬

 

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 最後に女武者の大絵馬を見ていく。

 

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 馬印を持った雑兵を従え白馬に跨り長刀を振り回す女武者。周りには蹴散らされる雑兵も描かれている。母衣(ほろ)に巴紋があるところから、巴御前か。奉納年は「文久元辛酉年霜月吉日」。西暦1861年

 

 

 

 

・おまけ

 

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 戸隠神社内の彫刻。
 
 

 

・まとめ

 非常に小さい神社だが秋田県内最古の船絵馬をはじめ多様な船絵馬を見ることが出来た。髷絵馬も珍しい。そして迫力ある女武者の絵馬には驚いた。完成度の高い作品だと感じられた。絵師も奉納者も分からないがもし北前船に関連して奉納されたのだとしたら象潟の盛んな海運の証拠といえるだろう。

 

 

 

戸隠神社・・・ 秋田県にかほ市象潟町五丁目塩越173