(日限地蔵尊のお堂)
・日限地蔵尊(ひぎりじぞうそん)諏訪山観音院の概要
織物の産地として知られる群馬県桐生市のJR桐生駅から歩いて約20分、駅前の商店街を抜け織物工場が点在する住宅街に入ると真言宗豊山派日限地蔵尊諏訪山観音院がある。創建は1644(正保元)年とされる。本尊は聖観世音菩薩であるが、有名なのは毎月24日が縁日の日限地蔵尊である。
日限地蔵尊の由来となった昔話が伝わっている。
この地に昔あった大きな機屋の窓に毎晩現れる不思議な影を怪しんで鉄砲で撃った(!)ところ観音院の庭で血の跡が消えていた。機屋の主人の夢枕に地蔵が立って「日にちを決めて願掛けすれば叶えよう」とお告げした。のち、庭から肩に鉄砲玉の跡のある地蔵が見つかり村人がお堂を建て祀ったところ機屋は繁盛、地域の産業となった。のち、このお堂が日限地蔵尊になったというわけだ。(観音院のパンフレットより)。機屋のできごとが昔話の中心なのが桐生らしい。
観音院の境内は仁王門からまっすぐ奥へ続く参道の正面に本堂、その手前左手に日限地蔵尊のお堂を中心として、鐘楼堂、不動尊、六地蔵、諏訪弁財天、目と歯の神様である禰宜師(ねぎし)大明神(玉葱を持ち帰って願掛けし願いが叶ったら再び玉葱を供える)とともに子授けと開運の神様である金精(こんせい)大明神を祀る両神堂などが点在し、本堂横にも大黒天がある。そのほか境内には小さい祠や仏像がいくつかあった。
境内の諸堂では束になった線香や飴などとともに他所では見たことがない小絵馬がたくさん奉納されていた。10数センチ×20センチくらいの縦長の板をベースにして、五角形に見えるよう縁が付けられ、ビニール袋に入っている。日限地蔵尊のお堂にはもちろん地蔵尊の、弁財天には蛇の、禰宜師大明神には目の、金精大明神にも蛇の絵柄の小絵馬が、それぞれ奉納されている。小絵馬には奉納者の名前や年齢、干支などは書き込まれていないようだった。
(通りに面した敷地の角には大きな看板がある)
(仁王門)
(断酒道仙様。断酒の神様らしい)
(諏訪弁財天)
(輪投げ)
(御足参道)
(休憩所)
(賓頭盧尊者)
(六地蔵)
(日限地蔵尊に奉納された絵馬)
(小さい地蔵尊の仏像も奉納されている)
(本堂)
(水かけ不動尊)
(両神堂。二つの神が祀られている)
(金精大明神)
(禰宜師大明神)
・栗原商店の小絵馬
観音院の諸堂に奉納されていた小絵馬は境内では授与していない。仁王門の前の道路を挟んですぐ向かいにある栗原商店で売られているものだった。
店先にはお菓子や飴、線香の束と並んで、カラフルな小絵馬が並ぶ。看板には「お線香 賣場」「美しい手描き お絵馬 お絵馬にお願ひことを託して供へると お願ひごと叶うと言ひ伝つております」と書いてあった。
店内にもおもちゃなどとともに小絵馬が並べられている。
見たところ図柄は目、耳、手、足、母乳を出す女性、母子、鼠、弁財天の祠、地蔵、餅、蛇などがあり、見本として干支の絵馬も飾られていた。20種類以上は描かれていそうだ。色遣いは図柄ごとに決まっているわけではなく、板に小さい釘で打ち付けられた五角形の縁の色は赤、青、緑、橙、黒、紫、桃などがあり、地蔵や描かれた女性の着物の色も小絵馬ごとに違う。
・栗原商店の絵馬師
少しお店の方にお話を伺った。この小絵馬は、20年ほど前に亡くなった先代のご主人(栗原六三郎さん)がたくさん描き残した在庫を今も売っているもので、六三郎さんは生前は毎日小絵馬を描いていたという。
店内に飾られた1993年1月27日付けの新聞記事(新聞社名は不明)によれば、栗原六三郎さんの仕事は桐生織物の図案を描く意匠屋で、15歳の頃に仕事の傍ら願掛けに来る人たちのために描き始めたという。六三郎さんは掲載時79歳と書かれているので、90年以上この地で絵馬が売られていることになる。以前は付近に他の絵馬屋もあったのだろうか。六三郎さんがどのように絵馬の図柄や作り方を習得したのか気になる。その習得の過程は、隣接する足利市などこの地域の神社で小絵馬奉納の風習が盛んだったことと無縁ではないだろう。
お店の中には、新聞記事の写真で栗原六三郎さんの背後に写っているものと同じ大きな地蔵の絵馬も飾られていた。
(お店の陳列台にも小絵馬が)
(大きな地蔵尊の絵馬)
・栗原商店の利用案内
栗原商店は営業日や時間帯は特に決めていないが、日限地蔵尊の縁日(毎月24日)ははやくからお店を開けているとのこと。特に一月の初地蔵と十二月の納め地蔵は賑わうという。
かつては全国で行われていたであろう小絵馬奉納の風習を垣間見ることができた。それが残っているのは群馬県のこの地域ならではだろう。また来てみたい。