(総門)
いわずとしれた全国有数の不動明王の霊場、成田山新勝寺の額堂へ行ってきた。開基は平将門の乱の平定に由来する。やはり有名なのは歌舞伎の市川團十郎家が代々帰依したきたことだろう。この日は成田の祇園祭の開催日。いつもより少し賑やかだった。
(大本山成田山 境内マップ:https://www.naritasan.or.jp/tour/map.html)
(仁王門)
来るたびに驚く、おびただしい数の石碑。
大本堂でお参りし、左手へ。奥の院へ向かう道の途中に額堂がある。
(大本堂)
階段の奥に額堂の屋根が少し見えている。
ここを曲がるとすぐ左手に額堂。
(第二額堂)
もともと文政四(1821)年に建てられた第一額堂は七代目市川團十郎の寄進によるもので「三枡の額堂」と呼ばれていた。だが昭和四十年に火災で焼失、現存しない。
この第一額堂の40年後に建てられたのが今も残る第二額堂である。いかに奉納物が多かったかが想像できる。こちらは文久元(1861)年の建立。重要文化財。
東日本大震災の影響で柱と土台がズレを起こしたため2014年から2016年に工事が行われた。以前の写真と見比べると奉納物が少し減らされ、金属の太い柱が追加されたようだ。
成田山にはたびたび遊びに来ているが、工事中だったため額堂を見るのは今回が初めて。
南西の面。
いやー、いちいち額が立派だ。やはり剣や「山田成」の額が目立つ。
大きく網を広げて大漁の様子。房総半島の漁師が奉納したものか?
横須賀の料亭が奉納した絵馬も。
成田山の額堂はその額の量も圧倒的ながら、竜虎の彫刻も立派で見ごたえがある。これは南の角にある。
南東側。通りに面していて、この額堂の正面のようだ。
壺がある。能の「猩々」か?下の額には般若心経が書かれている。
何の絵だろう・・・。
右に不動明王の拝み絵馬。女性がふたり見える。
(南東側正面から)
額堂には額だけでなく、いくつか変わった奉納物なども置かれている。これは昭和43年まで明け六つ、暮れ六つ、正午を告げていた旧梵鐘。
これは「勝軍地蔵尊」と呼ばれるもので、甲冑を身にまとった地蔵菩薩。
これは、第一額堂を建立した七代目市川團十郎の石像。
地球儀まである。明治四十年の奉納。
引き続き、南東側を東のほうへ向かって見ていく。
東の角の龍。
北東の面。
北東の虎。
北の角の龍。同じ龍でも一つずつ姿が違う。
北西の面。
バリカンとカミソリ。東京理器株式会社は1922年創業で、今も営業している。
関東大震災の復興にあたり、横浜の大工たちが奉納した額。左右の三十六童子はそれぞれの職人自身に見立てられている。
東の角の龍。
(東から)
これでぐるっと一周。実に見ごたえがあって、いつまで見ていても飽きない。
成田山の中でいうと平和大塔内にもいくつか立派な絵馬が展示してある。だが写真撮影禁止なのでここでは紹介できない。実際に行く機会がある人には見てほしい。成田山史料館は宝物などの展示をしていることもあるようなので絵馬が見られる機会もあるかもしれない。
ほかに境内にある光明堂や聖天堂も面白い絵馬があるので、別の記事で紹介したい。