石川県加賀市橋立は北前船の船主の集落だったところで、日本一の富豪村と言われていたとか。
加賀市を含む全国11市町の共同申請による、北前船に関するストーリー「荒波を超えた男たちの夢が紡いだ異空間 ~北前船寄港地・船主集落~」は、平成29年4月28日付の文化庁発表で日本遺産に認定されている。
北前船の里資料館は明治九(1876)年に建てられた酒谷長兵衛の屋敷を利用した施設だ。
北前船とは、江戸時代後期から明治時代にかけて日本海を通り大阪と北海道を往復した廻船(商船)をさす。近世になって北陸と大阪とをつなぐ航路が開発され、近江商人が北海道に進出したことなどが要因のようだ。主に越前、加賀、能登の船乗りが近江商人に雇われ、その中には船主として自立する者もいた。
商売の特徴としては、他人の荷物を運ぶ「運賃積み」ではなく、船主が荷主として港で物を売買しながら航海する「買い積み」だったという点。各地で商売するため利益は大きかった反面、遭難すれば損害も大きかった。船は日本型の一枚帆からはじまり、明治期には西洋船を用いる船主もあらわれた。
海難事故のコーナーに船絵馬があった。
北前船は水が上から入って沈みやすい。積み荷を捨て、錨をすべて降ろし、帆柱を切って、最後は髷を切って神仏に祈るのみだ。助かったものは役人に遭難の証文を貰い、船主に提出する。また遭難した時に切った髷を絵馬にして奉納した例もある。
土蔵が船絵馬の展示室になっている。船絵馬は航海安全を祈願しまた無事に航海を終えた感謝を示すため奉納される。今でも北前船の寄港地の神社にはよく船絵馬が残されている。
引き札の展示室もあった。
数年前に船絵馬の企画展を開催したらしく図録もあったらしいのだが、売り切れで無かった。また企画して欲しいし図録の復刊も希望したい。